左、今回の映画『アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語』のチラシの一部。右、1967 年の映画『アンナ・カレーニナ』の小冊子表紙の一部。
Left, part of the leaflet of the film Anna Karenina: Vronsky's Story. Right, part of the cover of the booklet of the 1967 film Anna Karenina.
さる 2018 年 11 月 14 日、大阪のシネ・リーブル梅田で、カレン・シャフナザーロフ監督によるロシア映画『アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語』を見た。「有名なトルストイ原作小説の後日譚」と説明した新聞記事を読んだことが、私をこの映画に行かせたのだが、後日譚(あとで述べる理由で、「後日譚の現在進行形の部分」というのが正確である)は半分以下程度で、小説『アンナ・カレーニナ』の復習のような場面が多く、意外に思った。
なぜこれが意外だったかといえば、私の読んだ紹介記事の見出しは、「ヴロンスキーの物語」の前で改行されていたが、改行後も同じ大きさの文字になっており、また、その本文では、カレーニナとヴロンスキーの間に全角スペースが入っているだけだったことが原因だと思う。(この映画のインターネット上の表記では、どれも「ヴロンスキー」の前が半角スペースになっているので、本記事の表題もそれに従った。)このような表現では「アンナ・カレーニナ」と「ヴロンスキーの物語」の関連が分かりにくい。
他方、映画のチラシでは「ヴロンスキーの物語」の部分は改行して文字が小さくなっており、原題名ではカレーニナの後にピリオドがついており(ロシア語のラテン文字表記で、Anna Karenina. Istoriya Vronskogo)、英語題名ではコロンが入っている(Anna Karenina: Vronsky's Story)。これらのような表記を映画鑑賞前に見ていたならば、「ヴロンスキーが語るアンナ・カレーニナの物語」という意味がはっきりして、『アンナ・カレーニナ』の復習のような場面が多いことを意外には思わなかったはずである。ただし、それらの過去の場面は、アンナの息子セルゲイの求めでヴロンスキーが語ったという形だから、現在進行形の部分とともに後日譚であるには違いないのだが...。
私が『アンナ・カレーニナ』の原作を中村白葉訳(岩波文庫、1935)で読んだのは高校 1 年生の春のことで、原作の筋を詳細に覚えてはいない(その後の岩波文庫版は白葉の娘婿、中村融の訳)。したがって、アンナについての物語で、「ヴロンスキーの」と断ったこの映画が原作と特に異なるのはどこかをはっきりとはいえない。ただ、ヴロンスキーと同棲している間にアンナが彼の誠意を疑い始め、小間使いとともに馬車を駆って駅へ急ぐことになるという、アンナの最期に近いあたりが詳しく描写されていることろに相違があろうかと想像する。私はかつて、アレクサンドル・ザルヒ監督による 1967 年のソ連映画『アンナ・カレーニナ』を見た。その時のアンナ(タチアナ・サモイロワ)に比べて、今回のアンナ(エリザヴェータ・ボヤルスカヤ、実生活ではヴロンスキーを演じたマクシム・マトヴェーエフの妻である)は自我がより強いようにも感じられた。演出がそうなのか、あるいは私が俳優の容貌から得た個人的な印象なのか分からないが(上掲のイメージ参照)。
後日譚のうちの現在進行形部分は、中国東北部を舞台にした日露戦争が背景になっており、ヴィケーンチイ・ヴェレサーエフによるこの戦争に関する文学作品が使われているという。戦争といっても、成長して軍医となったセルゲイが負傷したヴロンスキーに偶然出会うのは、ロシア軍の野戦病院においてであり、本来ならば、国際条約(ジュネーヴ条約)によって攻撃されない場所である。しかし、そのバラック建ての病院は、守られるべき印の旗を失ってしまったため、最後の場面で日本軍の激しい砲撃にさらされ炎上する。このようなことが日露戦争で実際に起こったのだとすれば、なんとも痛ましい。野戦病院で歌を歌ったり小物を売ったりして暮らしている中国人孤児がヴロンスキーになつき、彼もその女児に優しくする。彼は砲撃が激化する直前、避難する軍の馬車にその女児を乗せて、助かるように計らう。彼とアンナとの間にできた娘が幼くして死んだとセルゲイから聞いたことが、彼をそうさせたということだろう。
(2018 年 11 月 16 日修正)
なぜこれが意外だったかといえば、私の読んだ紹介記事の見出しは、「ヴロンスキーの物語」の前で改行されていたが、改行後も同じ大きさの文字になっており、また、その本文では、カレーニナとヴロンスキーの間に全角スペースが入っているだけだったことが原因だと思う。(この映画のインターネット上の表記では、どれも「ヴロンスキー」の前が半角スペースになっているので、本記事の表題もそれに従った。)このような表現では「アンナ・カレーニナ」と「ヴロンスキーの物語」の関連が分かりにくい。
他方、映画のチラシでは「ヴロンスキーの物語」の部分は改行して文字が小さくなっており、原題名ではカレーニナの後にピリオドがついており(ロシア語のラテン文字表記で、Anna Karenina. Istoriya Vronskogo)、英語題名ではコロンが入っている(Anna Karenina: Vronsky's Story)。これらのような表記を映画鑑賞前に見ていたならば、「ヴロンスキーが語るアンナ・カレーニナの物語」という意味がはっきりして、『アンナ・カレーニナ』の復習のような場面が多いことを意外には思わなかったはずである。ただし、それらの過去の場面は、アンナの息子セルゲイの求めでヴロンスキーが語ったという形だから、現在進行形の部分とともに後日譚であるには違いないのだが...。
私が『アンナ・カレーニナ』の原作を中村白葉訳(岩波文庫、1935)で読んだのは高校 1 年生の春のことで、原作の筋を詳細に覚えてはいない(その後の岩波文庫版は白葉の娘婿、中村融の訳)。したがって、アンナについての物語で、「ヴロンスキーの」と断ったこの映画が原作と特に異なるのはどこかをはっきりとはいえない。ただ、ヴロンスキーと同棲している間にアンナが彼の誠意を疑い始め、小間使いとともに馬車を駆って駅へ急ぐことになるという、アンナの最期に近いあたりが詳しく描写されていることろに相違があろうかと想像する。私はかつて、アレクサンドル・ザルヒ監督による 1967 年のソ連映画『アンナ・カレーニナ』を見た。その時のアンナ(タチアナ・サモイロワ)に比べて、今回のアンナ(エリザヴェータ・ボヤルスカヤ、実生活ではヴロンスキーを演じたマクシム・マトヴェーエフの妻である)は自我がより強いようにも感じられた。演出がそうなのか、あるいは私が俳優の容貌から得た個人的な印象なのか分からないが(上掲のイメージ参照)。
後日譚のうちの現在進行形部分は、中国東北部を舞台にした日露戦争が背景になっており、ヴィケーンチイ・ヴェレサーエフによるこの戦争に関する文学作品が使われているという。戦争といっても、成長して軍医となったセルゲイが負傷したヴロンスキーに偶然出会うのは、ロシア軍の野戦病院においてであり、本来ならば、国際条約(ジュネーヴ条約)によって攻撃されない場所である。しかし、そのバラック建ての病院は、守られるべき印の旗を失ってしまったため、最後の場面で日本軍の激しい砲撃にさらされ炎上する。このようなことが日露戦争で実際に起こったのだとすれば、なんとも痛ましい。野戦病院で歌を歌ったり小物を売ったりして暮らしている中国人孤児がヴロンスキーになつき、彼もその女児に優しくする。彼は砲撃が激化する直前、避難する軍の馬車にその女児を乗せて、助かるように計らう。彼とアンナとの間にできた娘が幼くして死んだとセルゲイから聞いたことが、彼をそうさせたということだろう。
(2018 年 11 月 16 日修正)
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