2005年9月1日木曜日

ツクツクボウシのいた場所(写真)/ 久留島武彦氏来演


ツクツクボウシのいた場所

 写真は、さる8月29日ツクツクボウシが鳴いていた木(右端のクスノキ)を撮ったもの。どこにとまっているかと見上げているうちに、鳴き止んでしまった。前方の人影はゲートボールを楽しむ人たち。

久留島武彦氏来演

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年11月4日(火)晴れ

 久留島武彦氏 [1] が来校して講演。声量と話術は素晴らしいが、セの発音が不正確だと思った。「高峰博しぇの功しぇきは、遠くから望むほど偉大である。知らず廬山、ただ身この山中にあり。諸君は博しぇのごう(郷)土にいて、あまりに博しぇの魂に近く触れているため…」というような具合だ。住血吸虫を住吸血虫と何度もいわれたのには誰も笑わなかったが、センチメートルをセンチメントといい損なわれたのに対しては、われわれは笑った。アドレナリンのことからホルモン分泌のことにおよんで、青年期の軽い心理風刺をされたときには、たびたび拍手が起こった。

(Sam)

 第七限に、郷土の偉人そして世界の偉人である高峰譲吉博士の伝記とその学問について講演があるというので、四十分授業が行われた。授業時間が非常に短く感じられた。
 講師の紹介が校長からなされたが、名前は聞き漏らした。とにかく、校長が今から四十年前、この講師から演説を聞き、深い感銘を受け、今でも示唆を受けるところしばしばであるということである。
 講師の弁舌は巧みで、いつもは騒がしいうちの会社のアセンブリーも落ち着いていた。高峰博士をマウントエベレストに例え、レスタミンの説明に甲状腺ホルモン、青年期の説明も補足するなど、次つぎと興味深かった。講演を感銘深いものにするには、余情を残すことだそうだ。


 引用時の注

  1. 久留島武彦(1874–1960)は児童文学作家。筆名は尾上(おのえ)新兵衛。日本のアンデルセンと呼ばれた。詳しくは 「久留島武彦」(ウィキペディア フリー百科事典)を参照。このとき、78歳だったことになるが、たいへんお元気だった。Sam の通っていた二水高校でも、同じこの日に氏の講演があったのだ。Sam の感想は私のもののようにひねくれておらず、素直である。2人の感想を合わせれば、氏の講演がより立体的に把握できるともいえるが。

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