2011年6月17日金曜日

原発計画に関する湯川博士の言葉 3 (Hideki Yukawa's Words about Nuclear Power Development -3-)


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「原発計画に関する湯川博士の言葉 1」
「原発計画に関する湯川博士の言葉 2」

 本シリーズ前回の冒頭に挙げた湯川の原子力についての3編の随筆のうち、最後のもの
 (3) 日本の原子力:急がばまわれ –1957–, p. 269
は、本シリーズ初回に記した湯川の原子力委員辞任の年に書かれたものである。その随筆は、次の文で始まる。

 一年前(昭和三十一年)に原子力基本法が成立し,原子力委員会が発足して以来、今日までの間に原子力に関する国内情勢にも世界情勢にも、多くの重要な変化があった。

「多くの重要な変化」とは何なにであったかを文献 [1] で見ると、次の通りである(部分的に省略して引用)。

前年8月の第1回原子力平和利用国際会議が契機となって原子力ブームが到来した。[湯川の記している]原子力基本法の成立と原子力委員会の設置は1月1日。この日、初代原子力委員長に正力松太郎が就任し、また、総理府原子力局が発足した。日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)、原子燃科公社も6月と8月に発足し、産業界では、3月に(財)日本原子力産業会議(現日本原子力産業協会)が設立された。海外では、5月に英コールダーホール原子力発電所第1号炉が発電を開始し、10月23日には国連総会で国際原子力機関意章が採択された。

実にめまぐるしい動きである。さらに、国内の出来事の詳細を見れば、——1月13日、正力原子力委員長が原子力委の発足に当って声明を出し、研究炉をアメリカから早く輸入し、原子力開発体制を固めるという方針を述べた。同日、閣議がウォーターボイラー型研究炉と CP‐5 型研究炉の米国からの輸入を決定。2月10日、原研が研究用天然ウランと重水、各4トンをアメリカから輸入することが認められる。3月23日、原子力委が原子力開発利用基本計画策定要綱を決定、増殖炉開発を示唆。3月27日、原研が米ノースアメリカ航空会社とウォーターボイラー型原子炉の輸入契約をする。——などがあり、湯川は、4月24日に原子力委員の辞意を表明するに至っている(実際の辞任は翌1957年3月29日)。

 随筆 (3) での湯川の主張としては、まず、広い意味の原子力利用であるアイソトープの利用について、

危険防止、健康管理の問題が重要になる。この点について万全を期してゆかねばならぬ。

という言葉が見られる。次いで、原子力エネルギーの問題へ入り、

つぎの段階というのは、わが国の研究者、技術者の創意や自主性がもっと発揮される段階である。そのためには少なくとも国産炉の設計、製作とか、処理方法の確立とかいうステップを通る必要がある。

と指摘している。上に紹介した国内の動きは、湯川の指摘するこのようなステップを全く無視したものであった。

湯川は、

原子力発電の問題を無期限に机上のプランとして残しておくのが、もはや許されないことは明らかである。

と、情勢に押された見方をしながらも、次のように当時の国の原子力政策を鋭く批判している。

このような情勢の急変が今後も予想されるが故になおさら、発電炉に関してはあわててはいけないと思う。しかも苗を育てる下地を作っている最中に、いきなり大きな切り花を買ってくるという話ではなおさら困る。


 最終の段落で、湯川は次のように警告している。

 西洋には「ゆっくり急げ」という言葉がある。わが国にも「急がばまわれ」という諺がある。原子力の場合には、これらの言葉がピッタリとあてはまる。[…]それと同時に、原子力の平和利用の最大の障害である核兵器が、一日も早くこの地球上からなくなってしまうよう、国連加盟を機として、私ども日本人はいっそう努力してゆくべきである。


 先日、次の報道があった [2]。

東京電力福島第一原発が40年前、竜巻やハリケーンに備えて非常用発電機を地下に置く「米国式設計」をそのまま採用したため、事故の被害が大きくなったことが関係者の証言でわかった。原発は10メートル以上の津波に襲われて水につかり、あっけなく全電源を失った。

湯川の警告に従わないで突き進んだ原発輸入路線が、福島第一原発の過酷事故につながり、「急がばまわれ」に相当する英語のもう一つの諺 "Haste makes waste" の通り、放射性廃棄物 (radioactive waste) が大量に出る結果となった。国民一同が、それぞれの責任に応じ徹底的に反省して、国内原発の全面的な廃止と世界の核兵器廃絶へと進まねばならぬ。

(完)

文 献
  1. 原子力年表: 1956年, 高度情報科学技術研究機構ウェブサイト.
  2. 原発「米国式設計」誤算:ハリケーン対策、地下に発電機, 朝日新聞夕刊 (2011年6月1日).

 追記:朝日新聞夕刊2011年10月3日付けの記事「元科学部長の悔恨」(連載「原発とメディア」)によれば、元朝日新聞大阪本社科学部長・高津信也氏(現在89歳)は、あるとき、湯川秀樹を取材し、記事にしないことを念押しされて、次の言葉を聞いたという。「原子力発電は感心しません。放射能の怖さをもっと認識してもらわないと。平和利用、平和利用と言うが、そんなに生やさしいものではありません。」

 また、同じ連載の2011年11月8日付け記事「のみ込まれた慎重論」によれば、湯川は1957年3月に原子力委員を辞任した後、5月には国会で「原子力の利用開発は基礎から着実に作り上げていくべきだ」との趣旨の意見を述べ、現状への批判をにじませたが、そうした慎重論は、積極推進論の波にのみ込まれたということである。

2 件のコメント:

  1. 深いですね…

    しかし、海岸で何故に地下なんだろうとは思っていたのですが、そのような理由だったのですか。なんとも、やりきれない気持ちでいっぱいです。

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  2.  多くの人びとの暮らしを破壊した原発に、なおこだわる人たちの心は、人間のものとは思えません。

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