2011年6月13日月曜日

原発計画に関する湯川博士の言葉 2 (Hideki Yukawa's Words about Nuclear Power Development -2-)


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「原発計画に関する湯川博士の言葉 1」

 湯川秀樹の『自選集 3』[1] には、原子力についての次の随筆が3編収められている。

 (1) 原子力と人類の転機 –1954–, p. 261.
 (2) 原子力問題と科学の本質 –1954–, p. 265.
 (3) 日本の原子力:急がばまわれ –1957–, p. 269.

 (1) の文は、原爆・水爆という原子兵器の脅威から人類を守るために「人類の各員が運命の連帯に深く思いをいたし、…中略…いままでよりも遥かに大きな努力を払わなければならない段階に入った」ことを訴えている。そして、自らも、科学者として、より真剣に考える責任を感じ、また日本人として、この問題をより身近なものと感じる、と述べている。表題に「原子力」の言葉はあるが、まだ、原子力発電(原発)にはふれていない。

 (2) の文は、冒頭で、「去る三月の初め頃から、原子力の問題が、今までよりもはるかに身近な問題として、一般の人々の強い関心の的となった」と述べ、原子物理学(いまの言葉では原子核・素粒子物理学)の基礎研究とそれを応用する原子力研究との相違を説明している。

 1954年3月といえば、次の事柄があったのである。読売紙が16日付けで、第五福竜丸がビキニ環礁においてアメリカの水爆実験で被ばく(発生は3月1日)したことを暴露し、22日には、アメリカの国家安全保障会議 (NSC) に設置された運用調整委員会 (OCB) が「日本に実験用原子炉を提供する」との提案をした。後者の出来事は、原爆・水爆被害による日本の反核運動を押さえ込もうとするアメリカの政策の始まりであった [2]。また、これより先、3月2日には、保守3党が原子炉予算案2億5000万円を国会に提出し、4月3日にこれが自然成立している。

 他方、日本学術会議の原子核特別委員会は、1954年3月18日、原子力平和利用研究には自主、民主、公開の三原則の立場をとることを決定し、また、4月23日に日本学術会議は、原子力に対する政府の態度を非難し、核兵器研究の拒否と先の三原則遵守の声明を出している [3]。

 湯川の (2) の文には、原発の言葉はまだ登場しないが、末尾に次の記述がある。

…研究が発展し、応用の範囲が広くなるにしたがって本来の目的以外に、人間生活に思いがけない大きな影響を及ぼすことにもなるのである。科学の応用が人類に感謝される成果を生みだすか、あるいは反対に人類の恐怖の対象となるか、科学の本街道からの分れ道が天国への道になるか地獄への道になるか、科学者としてまた人間として、私は何度も反省をくりかえしているのである。

「人類の恐怖の対象となるか」「地獄への道になるか」という表現は、特に原水爆を念頭において導き出したものだっただろうが、ここに引用した文は全体として、「本街道からの分れ道」の先には常にその可能性があるという真理を指摘している。いまこれを振り返って見るとき、福島原発の惨事を予測したものとなっているとさえ思われる。(続く)


文 献
  1. 湯川秀樹, 現代人の知恵:湯川秀樹自選集 3 (朝日新聞社, 1971).
  2. 原発の源流と日米関係 4、『しんぶん赤旗』(2011年6月10日).
  3. 原子力年表: 1954年, 高度情報科学技術研究機構ウェブサイト

「原発計画に関する湯川博士の言葉 3」

2 件のコメント:

  1. かわせみです。

    続編、お待ちしております。

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  2.  続編は、きょう 11:30 に投稿しましたが、リンクを付け遅れていて、失礼しました。

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