2004年11月7日日曜日

飼い犬マリー

 私が高校 2 年の冬休みに、祖父と母と私の 3 人家族は、大連から引揚げ後 6 年近く続いた 2 階間借り生活と別れて、家主の長男が 2 階に住むやや広い家へ引越した。そして、母の勤務先の同僚から雑種の子犬を貰った。母は私がこれから受験勉強で運動不足になるのを気づかい、毎日、犬を散歩に連れ出したらよいと思ったらしかった。また、犬が少し大きくなれば、番犬代わりになるとも考えたようだ。

 貰ったのは雄犬だった。コペルニクスに因んで、コペルと名づけた。中学生時代に愛読した吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』の主人公のあだ名もコペル君だった。しかし、コペルはまもなく逃走して、行方不明となった。母の同僚は、同じような子犬をまた連れてきた。こんどは雌だった。キュリー夫人に因んでマリーと名づけた。

 私はマリーを連れて、よく散歩した。しかし、大学生になった私は、郷里を離れることになった。祖父は 80 歳台も後半になり、半ば寝たきりであった。その祖父を介護しながら勤務していた母は、マリーの面倒は見切れないという。かわいそうだったが、マリーを K 大学医学部の実験用に提供したのは、私が大学 1 回生の夏休みだっただろうか。散歩に連れ出すときに、嬉しそうに、勢いよく駆け回った姿がいまでも目に浮かぶ。

 隣家の小学生のお嬢さんの名が「まり」だったことを、のちに知った。高校時代、私は無口だったので、大きな声で「マリー」と呼ぶことはなかったが、母はよく「マリー、マリー」と呼んでいた。お嬢さんにしてみれば、似た名前を犬につけられて、迷惑だったことだろう。また、隣家では、私の母が盲ろう学校へ勤めていることを知り、さらに、私の声を聞くことがほとんどなかったので、私にも聴覚障害か何かあるのだろうと思っていた、と後日聞いたのも、いまでは懐かしい思い出である。

 後日の追記

 この記事を最初に掲載したブログサイトで、マリーを実験動物にしたことについて、「どうして、病院で安楽死させてやって貰えなかったんでしょう。あなたや、あなたのご家族を信じてただろうに…。どうせ、殺すなら楽に死なせてあげて欲しかった」とのコメントを貰った。「わが国の敗戦から間もない時期であり、ペットを安楽死させるという風習はまだ広まっていませんでした。実験動物は必ずしもすぐに殺されるのではなく、身体に電極を挿入されて、いろいろな反応を調べられたりします。少しでも人類の役に立ってから死ねば、マリーも本望かと考えた次第です。実験中と最期に苦しみがないように祈ったことをもって、お許しいただきたいと思います」と回答した。

 また、「Ted さんは高校生の頃から科学者志望だったのですね!」とのコメントも貰った。これには「京都にいた伯父が、大連から引揚げて間もない、小学生の頃の私の家を訪ねて来たとき、私の性格を見抜いたのでしょう、『Ted 君は学者になれ!』と言って帰って行きました。また、中学生時代に湯川さんのノーベル賞受賞がありました。これらのことが、進路の選択に影響したと思います」と答えた。


 関連サイト
  1. 土井英司によるビジネス書評『君たちはどう生きるか』(2005)

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