未月さんのブログ「N 教授について」を読んだ(注)。そこに描写されている近代文学史の教授は、漱石の小説にでも出てきそうなタイプである。いまでもそんな大学教授がいることを面白く思うと同時に、もしも、私が教室で講義をしていたら、女子学生からどのように見られていただろうか、と思った。私は公職の最後の 9 年間大学に勤めていたが、理系の付属研究所で大学院生の教育のみを担当していたので、教室で講義をすることはなかったのだ。
女子学生といえば、夏休み期間に学生 1 人ずつを、参考文献リスト、数値データ、英文報告書の修正などを入力するアルバイターに雇ったことが何年かあった。その頃、私の職場は公立の研究所で、隣に公立大学があった。(のちに両者が統合され、私は同じ職場にいながら、大学の教員になったのである。)したがって、多くの学生は隣の大学から来て貰ったもので、大半は女子学生であったが、男子学生もいた。
アルバイターが最初に必要になった 1980 年には、隣の大学の図書室に勤務していた人のつてで、その大学の経済学部生に来て貰った。女優の三田寛子(当時まだ若かった)に似た雰囲気の、明るいお嬢さんだった。そのときは、まだパソコンがなかった。丸善の文献検索サービスで打ち出して貰ったか、あるいは名古屋大学の共同研究者から貰った関連文献の一覧表から、一文献毎に、枠を刷り込んだ A4 用紙一枚の中へ、文献題名、著者名、扱われている反応の粒子名や物質名等をタイプライターで打ち込んで貰った。
その学生は、高校時代にアメリカでホームステイをしたことがあるそうで、英語がうまく、タイピングも速く、大いに役立った。私はまだ「先生」ではなかったが、彼女から、歌うような口調で「T 先生」(私の本名の姓の頭文字もTである)と呼ばれるのは快かった。「先生」だけでなく、名前をつけて呼ぶところが、アメリカ的であった。彼女はアルバイト終了後、渡米して以前ホームステイした家その他を訪れるということだったので、私が前年カナダとアメリカへ 1 カ月間出張した折のスライドを見せたり、共同研究者の I 君と私とで職場近くの焼き肉店で彼女の歓送会を持ったり、というサービスさえしたのだった。彼女は卒業後、大手の自動車販売会社に就職したと聞いた。
翌年は O 女子大学の事務部に電話して、アルバイト希望者を回して貰った。その学生は、あまりにも多くのミスをするので、かわいそうだったが、早々と首にして、別の学生と交替して貰った。いや、急きょ、OY 大へ行っていた私の長女をピンチヒッターとして雇ったのだった。その年には、パソコンが入り、入力する大部分は数値だったので、タイピングが必ずしもうまくない長女にも十分勤まった。数字が正確でさえあれば、よかったのである。
3 年目には、S 女子大へ行っていた次女を雇った。次女はおとなしい性格なので、他のおとなしかったアルバイター同様、私のもとでアルバイトをしたことがあったという印象が薄い。順を追って書いてきたいま、ようやくそのことを思い出した次第だ。しかし、決しておとなしくはない長女が私の雇ったアルバイターの一人だったことも、ほとんど忘れていた。家族は、妻に限らず、空気のような存在なのだ。(続く)
(注)「N 教授について」(2004) の冒頭の一節:
コメント(最初の掲載サイトから転載)未月 11/20/2004 10:32
1980 年代、まだタイプライターの時代なんですね。教授のアルバイトという響きは、なぜか読み手の想像を膨らませます(笑)。若く美しい女性が、文献から抜き出した粒子名や物質名をタイプライターで打ちこむ。会計報告書なんかではなくて、この粒子という無機質さがまた雰囲気があって...。小説や映画のワンシーンみたいで、素敵です。女子学生アルバイターの話はまだまだ続くのでしょうか? 楽しみに読ませていただきます。
Ted 11/20/2004 15:48
早速のコメントありがとう。当時、私はまだ教授ではなく、主任研究員という職名でした。研究者にとっては、粒子は無機質でなく、会計報告の方がずっと無機質に感じられます。映画のワンシーンのようだとは、恐縮です。続編に、もう一人の印象的だったアルバイターについて書いて、終りとなる予定です。ご期待下さい。
未月 11/20/2004 16:58
確かに、粒子は無機質ではありませんね。科学者にとっては、会計報告の方がはるかに無機質。私は数字が並んでいるのを見ると、すぐに眠くなってしまいます (^_^;) 。映画のワンシーンみたい...というのは、実は、私の妄想が勝手に膨らんでいて(爆)。
また、読みに寄せていただきます (^-^) 。
Ted 11/20/2004 20:54:43
続編の方がもっと妄想を抱いていただけるかも。
女子学生といえば、夏休み期間に学生 1 人ずつを、参考文献リスト、数値データ、英文報告書の修正などを入力するアルバイターに雇ったことが何年かあった。その頃、私の職場は公立の研究所で、隣に公立大学があった。(のちに両者が統合され、私は同じ職場にいながら、大学の教員になったのである。)したがって、多くの学生は隣の大学から来て貰ったもので、大半は女子学生であったが、男子学生もいた。
アルバイターが最初に必要になった 1980 年には、隣の大学の図書室に勤務していた人のつてで、その大学の経済学部生に来て貰った。女優の三田寛子(当時まだ若かった)に似た雰囲気の、明るいお嬢さんだった。そのときは、まだパソコンがなかった。丸善の文献検索サービスで打ち出して貰ったか、あるいは名古屋大学の共同研究者から貰った関連文献の一覧表から、一文献毎に、枠を刷り込んだ A4 用紙一枚の中へ、文献題名、著者名、扱われている反応の粒子名や物質名等をタイプライターで打ち込んで貰った。
その学生は、高校時代にアメリカでホームステイをしたことがあるそうで、英語がうまく、タイピングも速く、大いに役立った。私はまだ「先生」ではなかったが、彼女から、歌うような口調で「T 先生」(私の本名の姓の頭文字もTである)と呼ばれるのは快かった。「先生」だけでなく、名前をつけて呼ぶところが、アメリカ的であった。彼女はアルバイト終了後、渡米して以前ホームステイした家その他を訪れるということだったので、私が前年カナダとアメリカへ 1 カ月間出張した折のスライドを見せたり、共同研究者の I 君と私とで職場近くの焼き肉店で彼女の歓送会を持ったり、というサービスさえしたのだった。彼女は卒業後、大手の自動車販売会社に就職したと聞いた。
翌年は O 女子大学の事務部に電話して、アルバイト希望者を回して貰った。その学生は、あまりにも多くのミスをするので、かわいそうだったが、早々と首にして、別の学生と交替して貰った。いや、急きょ、OY 大へ行っていた私の長女をピンチヒッターとして雇ったのだった。その年には、パソコンが入り、入力する大部分は数値だったので、タイピングが必ずしもうまくない長女にも十分勤まった。数字が正確でさえあれば、よかったのである。
3 年目には、S 女子大へ行っていた次女を雇った。次女はおとなしい性格なので、他のおとなしかったアルバイター同様、私のもとでアルバイトをしたことがあったという印象が薄い。順を追って書いてきたいま、ようやくそのことを思い出した次第だ。しかし、決しておとなしくはない長女が私の雇ったアルバイターの一人だったことも、ほとんど忘れていた。家族は、妻に限らず、空気のような存在なのだ。(続く)
(注)「N 教授について」(2004) の冒頭の一節:
近代文学史の N 教授は、とても不思議な人だ。私自身が文学部の教授という人種を知らないせいか、彼はいかにも “そんな感じの人” にみえる。なんというか、浮世離れしているような、掴みどころのないタイプ。これまで、私の周りには決して存在しなかった種類の人間—。...
コメント(最初の掲載サイトから転載)未月 11/20/2004 10:32
1980 年代、まだタイプライターの時代なんですね。教授のアルバイトという響きは、なぜか読み手の想像を膨らませます(笑)。若く美しい女性が、文献から抜き出した粒子名や物質名をタイプライターで打ちこむ。会計報告書なんかではなくて、この粒子という無機質さがまた雰囲気があって...。小説や映画のワンシーンみたいで、素敵です。女子学生アルバイターの話はまだまだ続くのでしょうか? 楽しみに読ませていただきます。
Ted 11/20/2004 15:48
早速のコメントありがとう。当時、私はまだ教授ではなく、主任研究員という職名でした。研究者にとっては、粒子は無機質でなく、会計報告の方がずっと無機質に感じられます。映画のワンシーンのようだとは、恐縮です。続編に、もう一人の印象的だったアルバイターについて書いて、終りとなる予定です。ご期待下さい。
未月 11/20/2004 16:58
確かに、粒子は無機質ではありませんね。科学者にとっては、会計報告の方がはるかに無機質。私は数字が並んでいるのを見ると、すぐに眠くなってしまいます (^_^;) 。映画のワンシーンみたい...というのは、実は、私の妄想が勝手に膨らんでいて(爆)。
また、読みに寄せていただきます (^-^) 。
Ted 11/20/2004 20:54:43
続編の方がもっと妄想を抱いていただけるかも。
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