必要があって、中国に西暦 317 年から 420 年にかけて存在した東晋という国の歴史を少し勉強した。この国は主に中国の江南地方を支配した。四川も東晋の大半の期間、これに属したが、初期には成漢、後半の一時期には前秦がここを治めている。他方、この頃の華北では多くの国ぐにが興亡を繰り返す五胡十六国時代にあった。
司馬炎の建国によって続いていた晋(西晋、265~316)が匈奴によって滅ぼされたとき、ただ一人難をまぬがれた司馬氏の一族がいた。司馬睿であった。彼は、豪族の王氏に助けられて、江南に移り、建康(現在の南京)で皇帝の位につき、東晋の幕開けとなる。
江南に東晋が成立すると、華北に住んでいた漢人の豪族や多くの農民が、戦乱をさけてこの地に移住した。このため開発の途上にあった長江の中・下流域は急速に発展した。東晋の朝廷においては皇帝の権力が弱く、行政や軍事の実権をにぎった者は、王氏を初めとする豪族たちであった。地方の大きな勢力家であった豪族も、数代にわたって朝廷の高位高官を占めると、貴族としてその地位を確立するに至った。
そして、貴族によって自由清新な精神的活動が行われた結果、優雅な貴族文化が発達した。詩人としては陶淵明(365 頃~427)、書には後世、書聖と呼ばれた王羲之(307 頃~365 頃)、絵画では画聖と称された顧がい之(344 頃~405 頃)が活躍した。宗教においては、白蓮社を結成した慧遠(334~416 または 417)らの布教によって、仏教が貴族層に受けいれられた。
一言でいえば、皇帝の権力が弱かったことが、東晋に貴族文化の繁栄をもたらしたのである。政治と文化の関わりの深さを東晋の歴史から学び取ることができる。日本では敗戦後、戦争を放棄した平和憲法のもとで、文化国家作りが叫ばれ、芸術・科学等、文化面で、ようやく国際的な活躍をする人たちが大幅に増えてきている。しかし、戦争放棄を形骸化するような憲法「改正」が行われれば、文化の衰退も生じかねないと危惧される。
参考書
コメント(最初の掲載サイトから転載)
Y 12/04/2004 12:26
こんにちは。Ted さんとお話できることが、私の命を本当に助けてくださってもいるんですよ。パソコン画面での文章書き・読みや私のしゃべり方と、生活障害の重さとのギャップが激しい現状が長年続いているので、理解しがたいかと思いますが、Ted さんとの出会いに感謝しております。まったく不得手な歴史の分野ですが、パソコン技術の勉強をする前のステップにもなるかと思い、何かコメントさせてもらうために、頑張って読んでみました。
「貴族文化」という私が感じる語感と、陶淵明、王羲之らが残した素晴らしい文化芸術との間に、何か尊さの違うものを感じるのがひとつの感想です。(ただの貧乏人の発想かもしれませんが…笑。)で、この「貴族文化」の語感を受け入れるとして、皇帝の権力が弱かったことが、このような文化が繁栄する結果をもたらしたのですね。
だいたい、政治的レベルで考える(文化庁など?)文化の繁栄・充実と、この現実社会で生きている人たちが生み出す「巷の文化」とでは、性質に大いに違いがあるのではないかなと、政治音痴の私ですが、そう思うのです。だからこそ、政治的圧力が文化に対して低いほうが、かえって文化が自由でいられるのは、自然に理解できることで。
Ted さんがこの歴史資料調べから得ようとされた観点がどのへんにあるかは、だいたい想像できます。戦争放棄を形骸化するような憲法「改正」は、上記の私の受け取っている感覚から連続的に考えると、憲法改正「それ自体」として討論され、考えられなければならないことで、また政治担当者に任せるしか方途がなく、そしてそれが、文化衰退を招きかねかいかどうかは、これはひとつ Ted さんが提唱されたかなり画期的なご意見ですが、文化は個々人が、あるいは個人のうちの同志たちが集まって創出するものだと思うので、特に平和憲法と直接関係するかどうか…。
これについて一応の結論を出すには、「平和とは何か」ということを今一度、考え直さなければならないかもしれませんね。そして、何が平和的行動であり、何が戦禍加担する行為であるかの見極めの必要性。そのあたりの Ted さんのお考えを、お聞きしたく思いますが、いかがでしょうか。私は世界的な平和に疎い人間ですので、教えていただければ。
Ted 12/04/2004 14:02
1937 年、日中戦争の開始と同時に、政府は戦争を批判するすべての思想・言論に、きびしい弾圧を加え始めました。そして、その弾圧は太平洋戦争での敗戦まで続いたのです。このような状況のもとでは、文化は歪められ、正常な発展が望めません。
いま、政府・自民党が考えている憲法「改正」では、「有事」の場合に、国民が「自衛軍」の活動に協力する義務を負う、というようなことを盛り込もうとしています。これは、敗戦前の思想・言論の弾圧に近い状況の再現に道を開こうとするものです。
また、「自衛軍」を創設すれば、いまよりもっと多くの国家予算が、防衛費に回され、ただでさえ少ない文化活動への国の補助が、ますます削減されることにもなるでしょう。
これらのことを考えれば、創出自体は Y さんのいわれるように、個々人あるいは個人のうちの同志たちが集まってする文化も、その発展の可能性は、政治と深くかかわっているのです。
憲法「改正」は政治担当者に任せるしか方途がない、という問題ではなく、世論の高まりがあれば、多数の国民が望む方向へ、政治担当者の考え方を変えさせる可能性のある問題なのです。
Y 12/04/2004 15:00
お教えくださってありがとうございます。
戦争に関わる体制のために、思想・言論に弾圧が加えられる可能性を危惧される、という趣旨でしたか。「文化」といっても、実に幅広いものがありますものね。この件に関して一番深く問題となってくる「文化」は、ほかならぬ思想・言論ですね、もっとも、思想は日本ではなかなか発達しきらないところがあるので(西洋思想に比べれば…なんというか、日本人は本格的な土台と論理をもった「思想」を発達させるに向かない国民なんでしょう)、究極限れば言論の自由、ということになるんでしょうね。
それと、「自衛軍」の創設によって、文化活動への国の補助が削減される、という論点になると、上記の、言論の自由にとどまらない、より広い文化活動の可能性が狭められることになりそうですね。文化、というものには、私も大変関心をもっているのです。それこそ、このエコー!サイトですら、ひとつの文化、なわけで。それこそ宗教でも音楽でも絵画でも、文化、ですものね。
そうですね、世論がしっかりすれば、政治担当者に対して響かせるものも出来てくるのですからね。問題のひとつは、「多様」であるはずの世論を、どのように政治担当者に伝えるか、ということにあるように思います。選挙投票だけでそれを反映させられるはずがないよなあ、と普段から素朴に思っております。
Ted 12/04/2004 15:55
過去の思想・言論の弾圧は、いわゆる思想(マルキシズム)に限らず、平和や自由という概念を少しでもほのめかすような文学や演劇にもおよんだのです。
「多様」な世論であっても、最低限一致できるところで、声をそろえて、政治担当者にその意志を伝えることが必要です。本来、選挙が最も効果的であるべきなのですが、政治不信や無関心から、棄権者が半数前後にもなったりするのは残念なことです。
司馬炎の建国によって続いていた晋(西晋、265~316)が匈奴によって滅ぼされたとき、ただ一人難をまぬがれた司馬氏の一族がいた。司馬睿であった。彼は、豪族の王氏に助けられて、江南に移り、建康(現在の南京)で皇帝の位につき、東晋の幕開けとなる。
江南に東晋が成立すると、華北に住んでいた漢人の豪族や多くの農民が、戦乱をさけてこの地に移住した。このため開発の途上にあった長江の中・下流域は急速に発展した。東晋の朝廷においては皇帝の権力が弱く、行政や軍事の実権をにぎった者は、王氏を初めとする豪族たちであった。地方の大きな勢力家であった豪族も、数代にわたって朝廷の高位高官を占めると、貴族としてその地位を確立するに至った。
そして、貴族によって自由清新な精神的活動が行われた結果、優雅な貴族文化が発達した。詩人としては陶淵明(365 頃~427)、書には後世、書聖と呼ばれた王羲之(307 頃~365 頃)、絵画では画聖と称された顧がい之(344 頃~405 頃)が活躍した。宗教においては、白蓮社を結成した慧遠(334~416 または 417)らの布教によって、仏教が貴族層に受けいれられた。
一言でいえば、皇帝の権力が弱かったことが、東晋に貴族文化の繁栄をもたらしたのである。政治と文化の関わりの深さを東晋の歴史から学び取ることができる。日本では敗戦後、戦争を放棄した平和憲法のもとで、文化国家作りが叫ばれ、芸術・科学等、文化面で、ようやく国際的な活躍をする人たちが大幅に増えてきている。しかし、戦争放棄を形骸化するような憲法「改正」が行われれば、文化の衰退も生じかねないと危惧される。
参考書
- 木下康彦、木村靖二、吉田寅・編『詳説世界史研究』(山川出版社、1995)(その後、2008 年改訂版が出ている)
- 山口修・著、宮崎正勝・改定『この一冊で「中国の歴史」がわかる!』(三笠書房、2002)
コメント(最初の掲載サイトから転載)
Y 12/04/2004 12:26
こんにちは。Ted さんとお話できることが、私の命を本当に助けてくださってもいるんですよ。パソコン画面での文章書き・読みや私のしゃべり方と、生活障害の重さとのギャップが激しい現状が長年続いているので、理解しがたいかと思いますが、Ted さんとの出会いに感謝しております。まったく不得手な歴史の分野ですが、パソコン技術の勉強をする前のステップにもなるかと思い、何かコメントさせてもらうために、頑張って読んでみました。
「貴族文化」という私が感じる語感と、陶淵明、王羲之らが残した素晴らしい文化芸術との間に、何か尊さの違うものを感じるのがひとつの感想です。(ただの貧乏人の発想かもしれませんが…笑。)で、この「貴族文化」の語感を受け入れるとして、皇帝の権力が弱かったことが、このような文化が繁栄する結果をもたらしたのですね。
だいたい、政治的レベルで考える(文化庁など?)文化の繁栄・充実と、この現実社会で生きている人たちが生み出す「巷の文化」とでは、性質に大いに違いがあるのではないかなと、政治音痴の私ですが、そう思うのです。だからこそ、政治的圧力が文化に対して低いほうが、かえって文化が自由でいられるのは、自然に理解できることで。
Ted さんがこの歴史資料調べから得ようとされた観点がどのへんにあるかは、だいたい想像できます。戦争放棄を形骸化するような憲法「改正」は、上記の私の受け取っている感覚から連続的に考えると、憲法改正「それ自体」として討論され、考えられなければならないことで、また政治担当者に任せるしか方途がなく、そしてそれが、文化衰退を招きかねかいかどうかは、これはひとつ Ted さんが提唱されたかなり画期的なご意見ですが、文化は個々人が、あるいは個人のうちの同志たちが集まって創出するものだと思うので、特に平和憲法と直接関係するかどうか…。
これについて一応の結論を出すには、「平和とは何か」ということを今一度、考え直さなければならないかもしれませんね。そして、何が平和的行動であり、何が戦禍加担する行為であるかの見極めの必要性。そのあたりの Ted さんのお考えを、お聞きしたく思いますが、いかがでしょうか。私は世界的な平和に疎い人間ですので、教えていただければ。
Ted 12/04/2004 14:02
1937 年、日中戦争の開始と同時に、政府は戦争を批判するすべての思想・言論に、きびしい弾圧を加え始めました。そして、その弾圧は太平洋戦争での敗戦まで続いたのです。このような状況のもとでは、文化は歪められ、正常な発展が望めません。
いま、政府・自民党が考えている憲法「改正」では、「有事」の場合に、国民が「自衛軍」の活動に協力する義務を負う、というようなことを盛り込もうとしています。これは、敗戦前の思想・言論の弾圧に近い状況の再現に道を開こうとするものです。
また、「自衛軍」を創設すれば、いまよりもっと多くの国家予算が、防衛費に回され、ただでさえ少ない文化活動への国の補助が、ますます削減されることにもなるでしょう。
これらのことを考えれば、創出自体は Y さんのいわれるように、個々人あるいは個人のうちの同志たちが集まってする文化も、その発展の可能性は、政治と深くかかわっているのです。
憲法「改正」は政治担当者に任せるしか方途がない、という問題ではなく、世論の高まりがあれば、多数の国民が望む方向へ、政治担当者の考え方を変えさせる可能性のある問題なのです。
Y 12/04/2004 15:00
お教えくださってありがとうございます。
戦争に関わる体制のために、思想・言論に弾圧が加えられる可能性を危惧される、という趣旨でしたか。「文化」といっても、実に幅広いものがありますものね。この件に関して一番深く問題となってくる「文化」は、ほかならぬ思想・言論ですね、もっとも、思想は日本ではなかなか発達しきらないところがあるので(西洋思想に比べれば…なんというか、日本人は本格的な土台と論理をもった「思想」を発達させるに向かない国民なんでしょう)、究極限れば言論の自由、ということになるんでしょうね。
それと、「自衛軍」の創設によって、文化活動への国の補助が削減される、という論点になると、上記の、言論の自由にとどまらない、より広い文化活動の可能性が狭められることになりそうですね。文化、というものには、私も大変関心をもっているのです。それこそ、このエコー!サイトですら、ひとつの文化、なわけで。それこそ宗教でも音楽でも絵画でも、文化、ですものね。
そうですね、世論がしっかりすれば、政治担当者に対して響かせるものも出来てくるのですからね。問題のひとつは、「多様」であるはずの世論を、どのように政治担当者に伝えるか、ということにあるように思います。選挙投票だけでそれを反映させられるはずがないよなあ、と普段から素朴に思っております。
Ted 12/04/2004 15:55
過去の思想・言論の弾圧は、いわゆる思想(マルキシズム)に限らず、平和や自由という概念を少しでもほのめかすような文学や演劇にもおよんだのです。
「多様」な世論であっても、最低限一致できるところで、声をそろえて、政治担当者にその意志を伝えることが必要です。本来、選挙が最も効果的であるべきなのですが、政治不信や無関心から、棄権者が半数前後にもなったりするのは残念なことです。
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