2004年12月17日金曜日

先達たちが展開するパノラマ:芸術と科学の同と異

 四方館さんのブログ [1] に、ものづくりにおける自己の他者性に言及した棟方志功の言葉を紹介したのがあった。私はその記事に対し、次のようなコメントを記した。
 芸術とは一見対極的な科学においても、「自分でないものから、はじまってこそ」(棟方)は、肝要である。"On the shoulders of giants" というフレーズが、科学的業績を紹介する本の題名などにも使われているように、科学者は、先人の仕事を理解し利用して初めて、自分の独創的な研究を積み重ね得る。

 四方館さんからは、「科学において、先達たちの業績は、そこに立とうとする者にとって、圧倒的なほどのパノラマに映るだろう。芸術の世界は、科学のような論理性にも明証性にも乏しく、遠望したとしても、その景色は遠近法のごとくには見えないで、寧ろ樹海に踏み込んでゆくような不気味さを感じる」という趣旨の返信を貰った。

 返信の後半について、私は「芸術は論理性、明証性に乏しい反面、人間の感覚に直接訴えることができ、また、先達の仕事から学ぶところはあるにしても、それを 100% ふまえる必要はない、という利点があだろう」という旨を記した。

 返信の前半についてもコメントしたいことがあったが、長くなりそうだったので、ここに書くことにした。

 科学の先人たちの業績は、それが成し遂げられた時代的背景のもとでは、険しい道のりを歩んで達成されたものであり、その輝きは、時代を経て薄らぐことはない。しかし、のちの科学者がよって立つのは、輝く業績そのものではなく、それがもたらした知見である。知見は、人類共有のものとして整理され、新しい時代背景のもとで眺められるとき、発見された当時の圧倒性は薄らぐ運命にある。

 たとえば、アインシュタインの一般相対性理論は、発表された当時、これを理解できる物理学者は、世界中にも少数しかいなかったであろう。いま、理論物理学の最前線においては、相対性理論と量子力学を統合する理論として有望視されている「超弦理論」が研究されている。この理論は、一般相対性理論がそこから導き出されるという意味で、それを大きく超えるものであるが、これに取り組んでいる研究者たちは、世界に大勢いる。

 このことは、アインシュタインのもたらした知見といえども、圧倒性をいつまでも保持しはしないことを示すものといえよう。

  1. 四方館「朝の土からひろふ」(2004)
    またまた、棟方志功の詞から戴く。
     自分でないものから/はじまってこそ、/仕事というものの/本当さが出てくる
     …

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

四方館 12/17/2004 11:24
 私の記述に些か問題があったようですね。Ted さんが業績と知見は次元も異なるとし、分けた物言いとなることはご尤もなことだと思います。これは言葉足らずでしたが、私が「圧倒的なほどのパノラマ」と申したのは、「圧倒的なほどの知のパノラマ」とすべきところで、決して、業績のパノラマと云う積りではなかったのですが‥‥。
 科学と芸術の異質性の問題は、そのあいだに、歴史を置いてみるのがよいように思います。科学の歴史と、芸術の歴史。科学史と芸術史をそれぞれ俯瞰した場合、どのように見えるのだろうか、ということですね。

Ted 12/17/2004 12:01
 知見を含んだものとしての業績について、「圧倒的なほどのパノラマ」とおっしゃったことには、異論はありません。ただ、業績から知見だけを分離して考えるとき、後者の「圧倒性」は、ご指摘のように歴史の中においてみたとき、時とともに薄らいでいくのが科学分野の一つの特性ではないか、ということを述べてみた次第です。
 芸術と科学の異質性をみることも大切ですが、私はむしろ、両者の同質性と協力の可能性が、これから考察されなければならないテーマだと思います。

四方館 12/17/2004 15:15
 科学と芸術の同質性と協力の可能性について今後考察されていくとすれば、もちろん大歓迎です。科学者のなかには、絵画や演奏など、芸術に堪能な多趣味な方が多いと思います。アーティストのなかでは科学的な知見に学ぶ者はいても、科学を趣味だと宣言できる人は稀少でしょうね(笑)。いずれにしても、今後ともご指導のほど、よろしくお願いします。

Ted 12/17/2004 15:53
 芸術家で科学を趣味にする人が、稀少とはいえ、おられるのが、面白いと思います。画家の堀文子さんは、科学者が使うような顕微鏡でプランクトンを観察し、科学誌「ニュートン」の購読も欠かさないとか。こちらこそ、よろしくお願いいたします。

Y 12/19/2004 12:40
 しばらくブログに行けないうちに、四方館さま、またそんな素晴らしいブログを書かれてましたか。あとで頑張って行ってみます。Ted さんのブログは毎回読まないともったいないものばかりですね。
 それで、ブログ本文と、四方館さんとの上のやりとり、まったくその通りだと思います。それで、科学と芸術を考える際に、それぞれの歴史というのを考えるのがよいと。
 しかし、科学はその知見の歴史を精確に踏まえ、また踏み越えて新規な知見を生み出していくのが責務ですが、芸術にもともと責務はないですし、過去の芸術の歴史から影響を受けることはあっても、それこそ「一」や「自」の芸術があれば、自らの創り出す芸術は「二」や「他」という「違うもの」でなければならないと思うのです。いや、何かと「違うもの、オリジナリティ」すら意識しないで営みに没頭するでしょう。芸術家は真に孤独ではないでしょうか。責務も負わず、芸術家が最もつながっているものは、ただただ「本能的な人間的性質」。
 科学と芸術の交流というのは、もちろん両者を別様に理解しあうところに第一意義を見出せるので、テーマとしては面白いと思うのです。Ted さん、いろいろ道を模索してください。

Ted 12/19/2004 22:48
 芸術家と科学者の相違の鋭いご指摘、そして、お励ましもいただき、ありがとうございます。私のテーマ、芸術と科学の相互作用、の考察に参考になります。

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