いま 2004 年は去ろうとしている。戦争や災害の爪痕を残したまま。テロリズム、理由のない戦争、環境破壊や、対策不十分が天災と重なった人災的天災、それらの暗雲が、この年とともに過ぎ去り、2005 年が明るい年となることを願う。(写真は 12 月 30 日夕方、書斎の窓から撮影。)
高校時代に続けていた男子友人(ニックネーム Sam)との交換日記を、ホームページに掲載することを 3 年ほど前に計画し、私自身の書いた分について少しだけ進めた。しかし、意外にディジタル化するための時間がなく、とん挫している。この "Ted's Coffeehouse" に、ときおり引用することで、上記計画の代替としたい。Sam はすでに故人となっており、夫人から掲載の許可を得ている。ここに引用する 1951 年の日記を書いたとき、われわれは高校1年生であった。
1951 年 12 月 31 日(月)雨
(Sam)
歳末! 全身が綿になるようだ! From morning till night I worked and worked. 6日間のアルバイトによって、1 千円を得た。うれしい。苦しみに幾倍かして、うれしい。生まれて初めてこんなに多額の金を得た!
しかし、この 6 日間、雇われて働くこと意外に、何も出来なかったのは、みじめだった。が、よい体験だった。今年もあと2時間で過ぎようとするとき、開放されて、大晦日湯へ行く。
年越しそばを年を越してから食べなければならないことになってしまった。百八つの鐘が静かに余韻を残して響く。今年を振り返って…、反省! 何もない。いや、出来ない…。
(Ted)
NHK の選んだ 10 大ニュース
[引用時の注]:このあと、「Sam と Ted の 10 大ニュース」として、英文で書き始めているが、7 項目書いたところで、ラジオの「三つの歌」が面白くて、これ以上書けない、と記している。テレビはまだ、あまり普及しておらず、紅白歌合戦も新春番組として始まったばかりの時代である。大晦日には、宮田輝アナウンサー司会による NHK の人気番組「三つの歌」の特別放送があったのであろう。
コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)
四方館 12/31/2004 09:15
51 (S26) 年、1 月 3 日に紅白歌合戦(第 1 回)が登場しているようです。第 3 回まで同様に正月三が日に行われ、53 (S28) 年12 月 31 日に第 4 回、以降、大晦日の恒例と化したようです。Ted さんの高校時代、紅白は正月にあったということになりますね。「三つの歌」という番組は私にも微かに記憶にあります。「三つの歌です」と始まる冒頭のテーマソングが蘇ってきましたよ。
Ted 12/31/2004 13:32
紅白歌合戦についてのご教示ありがとうございました。私も、ついいまし方、新聞で今年が第 55 回と知り、1950 年の大晦日に始まっていなければ、勘定が合わないと思っていたところでした。いただいたコメントを参考に、記事の訂正をいたします。
「三つの歌の歌」、「三つの歌です/君もボクも/あなたもわたしも/ほがらかに/…」でしたね。宮田アナウンサーの司会は、「みんなに親しまれた古い歌、誰でも知っている新しい歌、三つの歌、きょうは…からお送りします」というような言葉で始まりました。
poroko 12/31/2004 11:18
私の母が 1942 年生まれなのですが冷蔵庫もテレビも(実家が商売人だったゆえに贅沢を慎むということで)子どもの頃はなかったそうです。たとえ紅白が放送されていても見られなかったでしょう。
今年は Ted さんに出会えてとてもよい年になりました。いつかぜひ実際にお会いしてみたいです。来年も今年同様よろしくおねがいします。
Ted 12/31/2004 13:40
I should be glad to see you off-line, too.
テディ 12/31/2004 12:52
私が生まれる 6 年前ですが、まだ戦争の陰が色濃く残っているという印象ですね。マッカーサーの名前がでているということは、米軍はその時はまだ Occupation Army の立場であったということでしょうか。6 日間のバイトで得た 1000 円を手にした喜び…、いまの時代では味わうことの出来ない喜びの一つでしょうね。
Ted 12/31/2004 13:56
そうです。敗戦の色濃い時代です。平和条約調印がこの年の 9 月 8 日でしたから、それまで、日本はアメリカの占領地でした。ちなみに、原文では「マックァーサー元帥」と書いてありました。
友人 Sam は 父を早くなくし(私もそうでしたが)、母が再婚して、祖母と暮らしていました。そういう事情でアルバイトを余儀なくされたのでしょう。私の方は、母が勤めていましたので、高校時代にアルバイトをすることはありませんでした。
Nadja 12/31/2004 21:35
クリックひとつで消せる日記はどこか寂しいものがあります。いまの時代は筆跡も知らない友人もアリなのでしょうか。私も交換日記をしていたこともありますがひとつも残っていません。素敵な計画ですね。
2005年こそ明るい年になって欲しいと切に願います。よいお年をお迎えください。
Ted 12/31/2004 22:05
筆跡、ですか。エコーお友だちとは、いずれ、手書きの手紙も交換したいですね。
ディジタル化の終わった交換日記は処分するつもりでしたが、捨てがたい気持ちがあります。
幸せな 2005 年を。
高校時代に続けていた男子友人(ニックネーム Sam)との交換日記を、ホームページに掲載することを 3 年ほど前に計画し、私自身の書いた分について少しだけ進めた。しかし、意外にディジタル化するための時間がなく、とん挫している。この "Ted's Coffeehouse" に、ときおり引用することで、上記計画の代替としたい。Sam はすでに故人となっており、夫人から掲載の許可を得ている。ここに引用する 1951 年の日記を書いたとき、われわれは高校1年生であった。
1951 年 12 月 31 日(月)雨
(Sam)
歳末! 全身が綿になるようだ! From morning till night I worked and worked. 6日間のアルバイトによって、1 千円を得た。うれしい。苦しみに幾倍かして、うれしい。生まれて初めてこんなに多額の金を得た!
しかし、この 6 日間、雇われて働くこと意外に、何も出来なかったのは、みじめだった。が、よい体験だった。今年もあと2時間で過ぎようとするとき、開放されて、大晦日湯へ行く。
年越しそばを年を越してから食べなければならないことになってしまった。百八つの鐘が静かに余韻を残して響く。今年を振り返って…、反省! 何もない。いや、出来ない…。
(Ted)
NHK の選んだ 10 大ニュース
- アジア競技大会
- マッカーサー元帥解任ならびにリッジウエイ司令官着任
- 桜木町事件
- 貞明皇后ご逝去
- 追放解除
- 民間航空再開
- 電力危機
- ルース台風
- 平和・日米安保両条約調印
- 社会党分裂
[引用時の注]:このあと、「Sam と Ted の 10 大ニュース」として、英文で書き始めているが、7 項目書いたところで、ラジオの「三つの歌」が面白くて、これ以上書けない、と記している。テレビはまだ、あまり普及しておらず、紅白歌合戦も新春番組として始まったばかりの時代である。大晦日には、宮田輝アナウンサー司会による NHK の人気番組「三つの歌」の特別放送があったのであろう。
コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)
四方館 12/31/2004 09:15
51 (S26) 年、1 月 3 日に紅白歌合戦(第 1 回)が登場しているようです。第 3 回まで同様に正月三が日に行われ、53 (S28) 年12 月 31 日に第 4 回、以降、大晦日の恒例と化したようです。Ted さんの高校時代、紅白は正月にあったということになりますね。「三つの歌」という番組は私にも微かに記憶にあります。「三つの歌です」と始まる冒頭のテーマソングが蘇ってきましたよ。
Ted 12/31/2004 13:32
紅白歌合戦についてのご教示ありがとうございました。私も、ついいまし方、新聞で今年が第 55 回と知り、1950 年の大晦日に始まっていなければ、勘定が合わないと思っていたところでした。いただいたコメントを参考に、記事の訂正をいたします。
「三つの歌の歌」、「三つの歌です/君もボクも/あなたもわたしも/ほがらかに/…」でしたね。宮田アナウンサーの司会は、「みんなに親しまれた古い歌、誰でも知っている新しい歌、三つの歌、きょうは…からお送りします」というような言葉で始まりました。
poroko 12/31/2004 11:18
私の母が 1942 年生まれなのですが冷蔵庫もテレビも(実家が商売人だったゆえに贅沢を慎むということで)子どもの頃はなかったそうです。たとえ紅白が放送されていても見られなかったでしょう。
今年は Ted さんに出会えてとてもよい年になりました。いつかぜひ実際にお会いしてみたいです。来年も今年同様よろしくおねがいします。
Ted 12/31/2004 13:40
I should be glad to see you off-line, too.
テディ 12/31/2004 12:52
私が生まれる 6 年前ですが、まだ戦争の陰が色濃く残っているという印象ですね。マッカーサーの名前がでているということは、米軍はその時はまだ Occupation Army の立場であったということでしょうか。6 日間のバイトで得た 1000 円を手にした喜び…、いまの時代では味わうことの出来ない喜びの一つでしょうね。
Ted 12/31/2004 13:56
そうです。敗戦の色濃い時代です。平和条約調印がこの年の 9 月 8 日でしたから、それまで、日本はアメリカの占領地でした。ちなみに、原文では「マックァーサー元帥」と書いてありました。
友人 Sam は 父を早くなくし(私もそうでしたが)、母が再婚して、祖母と暮らしていました。そういう事情でアルバイトを余儀なくされたのでしょう。私の方は、母が勤めていましたので、高校時代にアルバイトをすることはありませんでした。
Nadja 12/31/2004 21:35
クリックひとつで消せる日記はどこか寂しいものがあります。いまの時代は筆跡も知らない友人もアリなのでしょうか。私も交換日記をしていたこともありますがひとつも残っていません。素敵な計画ですね。
2005年こそ明るい年になって欲しいと切に願います。よいお年をお迎えください。
Ted 12/31/2004 22:05
筆跡、ですか。エコーお友だちとは、いずれ、手書きの手紙も交換したいですね。
ディジタル化の終わった交換日記は処分するつもりでしたが、捨てがたい気持ちがあります。
幸せな 2005 年を。
0 件のコメント:
コメントを投稿