だが、愛(フィリア)というものは単にわれわれの生活に不可欠たるにとどまらず、それはさらに、うるわしい。われわれはすなわち、友人愛に富んだひとびとを賞讚するのであり、多友(ポリフィリア)ということはうるわしきものごとの一つに数えられている。――アリストテレス『ニコマコス倫理学』(下)高田三郎訳、岩波文庫、1973今年、ソーシャル・ネットワーキング・サービス、エコーに入ったお陰で、多くの友人たちを得た。主としてインターネット上での交わりという、新しいタイプの友人たちである。従来の現実社会での友人関係に対し、それは、仮想社会の友人関係といえるのだが、後者はいまや前者の一部になりつつあるようだ。
両社会の友人関係には、それぞれ長所と短所があるだろう。仮想社会の友人関係は、成立の早さや地理的距離・年代差の超えやすさに特徴がある。しかし、そこには崩壊の早さもつきまとう可能性がある。両社会の友人関係に共通して、つき合いの深さに幅広い分布があるのは面白い。仮想社会の友人関係に意外にもこの幅が出来ているのは、多くの人びとにとって、ソーシャル・ネットワーキング・サービスが新しい体験であるための過渡的現象かも知れないし、また、仮想社会に限らず、友人という概念そのものに幅広さがあるせいかも知れない。
どちらの社会であれ、何が友情の深さを決めるかといえば、一つには、お互いの誠実さがあるだろう。それから、思考形態や生活態度からくる個性の波長といったものの共鳴度もあろう。しかし、波長については、意外にへだたった者同士が親しくなれたりもする。私にとって、まだ出来て間もない仮想社会の友人関係からも、真によい友情が生まれ育つことを願う。
街の池訪れ来たる青鷺の連れのいづくに待ちてあらなむ
アオサギは群れをなして暮らすのを好む、と一友人から聞いたが、わが家の近くの「中の池」に、ときどき一羽で飛来するのがいて(写真)、その交友関係が気になる。
コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)
poroko 12/26/2004 10:47
会ったことのない、ネット上だけの友人というのは、彼(彼女)のアクセスが途絶えてしまった時点でこちらからどうしようもなくなってしまうという点で、非常に不確かな関係だと感じています。ただ、遠く離れてしまった友人でも同じかもしれませんが。
Ted 12/26/2004 11:12
In friendship we may need admit this proverb, "Who can hold that will away? (去る者は追わず)"
RIN 12/26/2004 12:39
私のブログへのコメント、ありがとうございました。
このお写真のアオサギのこと、とても気になりますね。私は海に潜るのですが、魚が外敵から身を守るために群れを作って大きく見せかけたりしているのを間近で見ていますと、生き物が純粋に「生きる」ことを目的に、とても論理的な行動をとっていることを感じてしまいます。人間はネットで知り合ったもの同士で集団自殺を行ったり…、生き物たちは必死に生きることを考えているのに…。ということで、このお写真のアオサギのことが気になってしまいました。
Ted 12/26/2004 15:27
「ネットで知り合ったもの同士で集団自殺」――生き物から脱落する人間がいる、ということは、文明の悪弊でしょうか。
きょうは、「中の池」にアオサギ君を見かけませんでした。ちょっと放浪好きなだけで、また仲間のところへ戻っておればよいのですが。
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