2012年10月27日土曜日

敗戦直後の小6国語教科書 (The Textbook of National Language for Sixth Grade of Elementary School Just After World War II)


[Abstract] I have kept excerpts made in 1947 from my notebook of national language lessons in the sixth grade of the elementary school. The excerpts show that the textbook included a story of Raffaello Santi's Madonna paintings and a biography of Maria Skłodowska-Curie. In addition to these, I remember two stories in the same textbook. One is "Chawan no yu (Hot water in a cup)" written for children by the physicist and author Torahiko Terada. The other is Sugita Genpaku's "Rangaku kotohajime (Beginning of Dutch studies)" (probably the retold story by Kan Kikuchi). (Main text is given in Japanese only.)

 先に「戦後まだ間もない 1947 年、私が小学校 6 年生のときの、いろいろな教科目のノートから、自分の好んだ箇所を B6 サイズのメモ用紙(当時としてはかなり上質)26 ページばかりに書き写したものが保存してあった」という書き出しで、「戦後間もない頃の『商店調べ』」という記事を書いた。そのメモ用紙の記録の最初のページには、「国語のノートより」として、次のような固有名詞の簡単な説明リストが記されている。私自身が教室で発表する必要があって図書館まで赴いて調べた説明だったというような事情で、書き写して保存したのだろうか。

ファエルはイタリヤのウルビノで生れ(一四八三年)早くから絵のけいこをして有名な絵をたくさんのこした。三十七歳の若さで死ぬ。
ロレンスはイタリヤの北部にあり美術の中心地としてさかえた所。
レスデンはドイツのエルベ河のほとりにある都市。
リストはキリスト教をはじめた人、名はイエス、父はヨセフ、母はマリア、ユダヤ国に生れ西暦三十年頃凶敵のため十字架の上で殺された。

(ある画像)


ジウムは一八九八年キュリー夫人が発見した。元素の一つでその放射能は病気治療に用いる。
ューリー夫人はポーランド人で名はマリー、父は中学校の先生、ピエール・キューリーと結婚したので人々はキューリー夫人と言ふ。

(星の光り)


 カッコ書きしてあるのが、これらの固有名詞の出てくる教科書中の物語の表題と思われる。ラファエル(現在の表記では、ラファエロ)が描いたマドンナ(聖母)の絵に関する話が教科書にあったことは記憶しているが、それが「ある画像」という題名だったことや、正確ににはどういう題名の聖母の絵だったか、それについてどういうことが書かれていたかなどは全く覚えていない。フロレンス(フィレンツェ)とドレスデンの地名が出ていることから、「小椅子の聖母」(1513–14 頃、フィレンツェのピッティ宮殿パラティーナ美術館所蔵)と「システィーナの聖母(サン・シストの聖母)」(1513–14 頃、ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館所蔵)という、最もよく知られている絵について書かれていたに違いない。そういえば、前者の写真が教科書にあったような記憶がある。

 次の「星の光り」はキューリー夫人(現在の表記では、キュリー夫人;上に引用の古い説明にも「キュリー夫人」が混在しているが)の伝記から取られた話であろう。これも内容は全く記憶していないが、題名から想像すれば、キュリー夫人による原子核からの放射線の発見が、その後の研究者たちによる、太陽などの恒星からの光の発生原因の解明にまでもつながったことにふれられていたのだろう。(文献 1 に戦後の国語教科書に取り上げられたキュリー夫人伝の教材名があるが、「星の光り」は見当たらない。)

 これらの他に、私が小学校 6 年生のときの教科書にあったことを記憶している文としては、「茶わんの湯」と「蘭学事始(らんがくことはじめ)」がある。前者は物理学者・随筆家の寺田寅彦が子ども向けに書いた科学随筆である。一杯の茶碗の湯の観察から、大規模な自然現象にもいたる、いろいろな「理科の話」が展開されているのが印象深かった。

 後者のオリジナルは杉田玄白の手記だが、教科書にあったのはこれに基づく菊池寛の同題名の作品の、第六話あたりだったのだろうか。オランダ語の医学書「ターヘル・アナトミア」を翻訳する苦心談の部分で、「鼻とはフルヘッヘンドせしものなり」という言葉が記憶に残っている。そして、「先駆者としての苦闘は、やがて先駆者のみが知るよろこびでむくわれていた」という箇所から感銘を受けたと思う。

 当時の私は理科という科目を特に好んではいなかったが、これらの話が記憶に残っているということは、のちに物理学の道に進む素地が、この頃からあったのだろう。

文 献

  1. 幾田伸司, 戦後国語教科書に描かれた女性像:「キュリー夫人」を中心にして, 鳴門教育大学研究紀要 Vol. 22, p. 114 (2007).

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