[Abstract] In Natsume Sōseki's satirical novel I Am a Cat (1905–1906), the character Kangetsu Mizushima, modeled on the physicist Torahiko Terada, talks about "The mechanics of hanging." The source of this mechanical and physiological study is known to have been taken from an academic paper published by the Irish scientist Samuel Haughton (1821–1897). Izumi Tsutsui, a physicist at High Energy Accelerator Research Organization (KEK), thinks that neither Sōseki nor Terada, who introduced Haughton's paper to Sōseki, might have known about Haughton and writes an essay on him in the magazine Tosho No. 764, p. 6 (2012). The essay describes the man and work of Haughton as well as the background and the social impact of his paper on hanging. Izumi also writes about Sōseki's fondness of other persons related to Ireland, namely, the researcher of Shakespeare, William James Craig, and Patrick Lafcadio Hearn. (Main text is given in Japanese only.)
漱石の諷刺小説『吾輩は猫である』に出てくる「首縊(くく)りの力学」を覚えている人は多いだろう。この挿話は、比較的早く全十話中の第三話に出てくる。水島寒月が理学協会で演説する予定の話であり、迷亭が寒月に「吾輩」の住む珍野苦沙弥の家で稽古のために語らせた形で、演説内容が紹介されている。この話の材料となった論文が、サミュエル・ホートン (Samuel Haughton, 1821–1897) [1] の「力学的、生理学的な観点から見た絞首刑について」[2] であることは、寺田寅彦や中谷宇吉郎が随筆に書いているそうだが、『図書』の近着号に筒井泉氏(高エネルギー加速器研究機構・物理学)がホートンについて詳しく紹介している [3]。
筒井氏は「漱石はもとより、おそらく寅彦も著者ホートンが何者かを知らなかったのではなかろうか」と前置きしている。そして、まず、漱石がこの論文を読んだ時期を、1905(明治 38)年 1 月末から 2 月の間と推定している。聖職位を持つアイルランドの科学者・ホートンの経歴については、文献 1 にもあるので、ここでは筒井氏の記述を詳しくは紹介しないが、ダーウィンの進化論を自然神学の立場から批判した学者の一人であった。そのような学者の中でも、ホートンの特異なところは、生物の理解に物理学的視点を導入し、機能を最適化するように生物の形態が定まるとする「最小作用の原理」を提唱したことであったという。そのような考えの下に彼が行なった動物形態学研究の集大成として、ホートンは『動物力学の原理』を著しており、「首縊りの力学」は、その副産物であった、と筒井氏は解き明かしている。
筒井氏はホートンの「首縊りの力学」の論文についても、次のように解説している。この論文は大きく三つの部分からなり、第一はオデュッセイアの絞首刑の力学的検討、第二は近代英国における絞首刑実施方法の問題点の考察、第三は米国における方法に対する考察である。漱石が『猫』に組み込んだのは第二の部分の途中までだが、後の二つの部分がホートンの論文の主眼であるとのことだ。続いて、処刑者を長時間苦しませないために、ホートンが標準落下法 (the "Standard Drop" method) を定め、これが英米で広く用いられたことが述べられている。
ホートンはアイルランド人特有の情緒性のある、いわば文学的奇矯さを持つ学者だったようであり、寅彦や漱石はそのような面に惹かれたのだ、と筒井氏は指摘する。このことから、漱石の共鳴する対象にはアイルランドつながりが多いことに話が及び、漱石とシエイクスピア学者クレイグとの交流や、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)との関係が語られる。深い蘊蓄に基づいた楽しいエッセイである。
文 献
漱石の諷刺小説『吾輩は猫である』に出てくる「首縊(くく)りの力学」を覚えている人は多いだろう。この挿話は、比較的早く全十話中の第三話に出てくる。水島寒月が理学協会で演説する予定の話であり、迷亭が寒月に「吾輩」の住む珍野苦沙弥の家で稽古のために語らせた形で、演説内容が紹介されている。この話の材料となった論文が、サミュエル・ホートン (Samuel Haughton, 1821–1897) [1] の「力学的、生理学的な観点から見た絞首刑について」[2] であることは、寺田寅彦や中谷宇吉郎が随筆に書いているそうだが、『図書』の近着号に筒井泉氏(高エネルギー加速器研究機構・物理学)がホートンについて詳しく紹介している [3]。
筒井氏は「漱石はもとより、おそらく寅彦も著者ホートンが何者かを知らなかったのではなかろうか」と前置きしている。そして、まず、漱石がこの論文を読んだ時期を、1905(明治 38)年 1 月末から 2 月の間と推定している。聖職位を持つアイルランドの科学者・ホートンの経歴については、文献 1 にもあるので、ここでは筒井氏の記述を詳しくは紹介しないが、ダーウィンの進化論を自然神学の立場から批判した学者の一人であった。そのような学者の中でも、ホートンの特異なところは、生物の理解に物理学的視点を導入し、機能を最適化するように生物の形態が定まるとする「最小作用の原理」を提唱したことであったという。そのような考えの下に彼が行なった動物形態学研究の集大成として、ホートンは『動物力学の原理』を著しており、「首縊りの力学」は、その副産物であった、と筒井氏は解き明かしている。
筒井氏はホートンの「首縊りの力学」の論文についても、次のように解説している。この論文は大きく三つの部分からなり、第一はオデュッセイアの絞首刑の力学的検討、第二は近代英国における絞首刑実施方法の問題点の考察、第三は米国における方法に対する考察である。漱石が『猫』に組み込んだのは第二の部分の途中までだが、後の二つの部分がホートンの論文の主眼であるとのことだ。続いて、処刑者を長時間苦しませないために、ホートンが標準落下法 (the "Standard Drop" method) を定め、これが英米で広く用いられたことが述べられている。
ホートンはアイルランド人特有の情緒性のある、いわば文学的奇矯さを持つ学者だったようであり、寅彦や漱石はそのような面に惹かれたのだ、と筒井氏は指摘する。このことから、漱石の共鳴する対象にはアイルランドつながりが多いことに話が及び、漱石とシエイクスピア学者クレイグとの交流や、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)との関係が語られる。深い蘊蓄に基づいた楽しいエッセイである。
文 献
- Samuel Haughton, Wikipedia, the free encyclopedia (August 4, 2012, at 06:17).(ここでは、ホートンは scientific writer となっているが、筒井氏の書いている「科学者」の方が正しいであろう。)
- Samuel Haughton, "On hanging considered from a mechanical and physiological point of view." The London, Edinburgh and Dublin Philosophical Magazine and Journal of Science, Vol. 32, No. 213 (July 1866).
- 筒井泉, 漱石の『猫』とホートン, 図書 No. 764, p. 6 (2012).
0 件のコメント:
コメントを投稿