水村美苗の新刊書 [1, 2] を読んだ。彼女は寡作のため、著作を買って読むファンとしては、時間的、経済的両面でありがたかった。しかし今回、前作 [3] からあまり日をおかないで、しかも一度に2册合わせて発行されたことはファン泣かせである。どちらから先に読むかに少し迷うのだが、「読み書き」という言葉があり、また、水村自身、「読むということから、書くということが生まれる」とよく述べている(どことどこで読んだか覚えていないが、少なくとも [2] の「あとがき」にはこの言葉がある)。そこで、自然に [1] をまず読むことになる。
[1] には、「I 本を読む日々」「II 深まる記憶」「III 私の本、母の本」「IV 人と仕事のめぐりあわせ」の4章に分けて、合計56編の随筆を収めてある。小説家になるには自己を白日の下にさらす気構えが必要だと、ある女性の作家がいっているとか友人から聞いたことがあるように思う。水村の作品や随筆を読んでいると、彼女自身の体験、特に中学生時代に家族と渡米して学校や友人たちになじめず、下校後は家で日本文学に読み耽っていたという体験がしばしば登場する。それで、彼女の生い立ちが手に取るように分かり、頭のよい知人の女性の話を聞くかのような思いでページを繰ることが出来る。
第 III 章は、内容からいえば [2] に収めるべきもののように思われるが、文の調子からいえば [1] に収めるのがよいことが、[2] を読むと分かる。 IV 章の初めの2編、「作家を知るということ」と「『個』の死と、『種』の絶滅——加藤周一を悼んで」は、どちらも評論家・加藤周一(1919−2008)への賛辞である。彼の評論を好み、彼を尊敬して来た私にとっては嬉しい文章である。(つづく)
文献
- 水村美苗, 日本語で読むということ (筑摩書房, 2009).
- 水村美苗, 日本語で書くということ (筑摩書房, 2009).
- 水村美苗, 日本語が亡びるとき (筑摩書房, 2008).
日本語とどう向き合うかが今の私の関心なので、本の名前を見てとても興味が沸きました。以前からTedさんのブログに水村さんの名前が出てくる度に一度読んでみたいなぁと思っていましたので、帰国の際には是非手にとってみようと思います。
返信削除続いて掲載する予定の『日本語で書くということ』の感想は、いささか手厳しいものになりそうですが、それでも、よい本だと思っています。
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