「押しつけ憲法論への一視点」という論文 [1] を読んだ。著者・寺川史朗(三重大、憲法学)は、日本国憲法 66 条 2 項
寺川は、第 1 節において、「文民」とはシビリアン(civilian、非軍人)のことであり、日本国憲法が戦力不保持を定めているからには、日本国民はすべて文民と理解されるにもかかわらず、文民条項が設けられた趣旨は何かと問う。第 2 節において、同条項の歴史的背景と、それにまつわるいくつかの説を紹介し、第 3 節で「押しつけ」かどうかの見方の分かれ目について論じている。
歴史的背景は、概略次の通りである。芦田均(憲法改正特別委員会委員長、のち首相)が帝国憲法改正草案の 9 条 2 項に「前項の目的を達するため」という文言を追加する修正を加えた(芦田修正、これは 9 条 1 項の「国際紛争を解決する手段として」の戦争、すなわち侵略戦争という限定的な目的を達成するための「戦力」保持のみを禁ずるものと解釈することもできる)。当時日本の占領政策を展開していた GHQ(連合国最高司令官総司令部)は、この修正を容認した。しかし、これに対する極東委員会(対日占領政策に関する連合国側の最高決定機関、1945 年 12 月 16 日設置)側からの抵抗として、66 条 2 項が要請され、貴族院の審議の段階でこの条項が加えられることになったのである。
66 条 2 項のいくつかの解釈の中で、寺川は、「だめ押し」であるとする古関彰一(独協大、憲法史)の認識が興味深いとする。それは、次のようなものである。芦田修正について後日、芦田自身はその真意が自衛戦力の保持を予定したものと語っているが、当時そのような「考え方は、政府にも議会にもなかった。[...中略...] 唯一極東委員会で芦田修正によって芦田が後に主張する解釈が出てくる可能性が議論された。そこで極東委員会はこの可能性を封じるためにだめ押しとして文民条項の挿入を日本側に要求したのである。[2]」
私には、引用されている古関の文言は厳密性を欠くように思われる。66 条 2 項によって、自衛戦力の保持という可能性自体は、現実にもそうであるように、封じられない。可能性が現実になった場合に意味を持ってくる、そういう「だめ押し」というべきであろう。寺川は、GHQ 民政局行政部長であったケーディスが芦田修正によって自衛権が認められることになると知っていたという古関の文を引用しており、それがあくまでも自衛権であって自衛力ではないとする見方においても、古関の認識は通用する、と述べているが、この意味は取り難い。
寺川は、第 3 節の議論の中で、その論調が改憲論者に好まれている西修の衆議院憲法調査会での「憲法制定過程に『押しつけ』はあったが、今の憲法をどう評価するかは別問題である」という発言を取り上げている。そして、この発言は「押しつけ」の事実を「自主憲法制定」(現行憲法改正)に直結させることへの戒めであると理解すべきであろう、と評価している。皮肉にも、ここに著者の結論の一部が込められている。この論文には熟読しないと(ときには、熟読しても)論旨が呑み込めないところもあるが、結論については、私はまったく同感するものである。
「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」(文民条項)が、実は諸外国から「押しつけ」られたものであるが、「押しつけ憲法」論者たちは、この項を改正すべきであるとはいわないことを指摘する。そして、「押しつけ」か否かは個人の主観的判断に委ねられるものであり、改憲論議に波及させることは有害であると結論する。
寺川は、第 1 節において、「文民」とはシビリアン(civilian、非軍人)のことであり、日本国憲法が戦力不保持を定めているからには、日本国民はすべて文民と理解されるにもかかわらず、文民条項が設けられた趣旨は何かと問う。第 2 節において、同条項の歴史的背景と、それにまつわるいくつかの説を紹介し、第 3 節で「押しつけ」かどうかの見方の分かれ目について論じている。
歴史的背景は、概略次の通りである。芦田均(憲法改正特別委員会委員長、のち首相)が帝国憲法改正草案の 9 条 2 項に「前項の目的を達するため」という文言を追加する修正を加えた(芦田修正、これは 9 条 1 項の「国際紛争を解決する手段として」の戦争、すなわち侵略戦争という限定的な目的を達成するための「戦力」保持のみを禁ずるものと解釈することもできる)。当時日本の占領政策を展開していた GHQ(連合国最高司令官総司令部)は、この修正を容認した。しかし、これに対する極東委員会(対日占領政策に関する連合国側の最高決定機関、1945 年 12 月 16 日設置)側からの抵抗として、66 条 2 項が要請され、貴族院の審議の段階でこの条項が加えられることになったのである。
66 条 2 項のいくつかの解釈の中で、寺川は、「だめ押し」であるとする古関彰一(独協大、憲法史)の認識が興味深いとする。それは、次のようなものである。芦田修正について後日、芦田自身はその真意が自衛戦力の保持を予定したものと語っているが、当時そのような「考え方は、政府にも議会にもなかった。[...中略...] 唯一極東委員会で芦田修正によって芦田が後に主張する解釈が出てくる可能性が議論された。そこで極東委員会はこの可能性を封じるためにだめ押しとして文民条項の挿入を日本側に要求したのである。[2]」
私には、引用されている古関の文言は厳密性を欠くように思われる。66 条 2 項によって、自衛戦力の保持という可能性自体は、現実にもそうであるように、封じられない。可能性が現実になった場合に意味を持ってくる、そういう「だめ押し」というべきであろう。寺川は、GHQ 民政局行政部長であったケーディスが芦田修正によって自衛権が認められることになると知っていたという古関の文を引用しており、それがあくまでも自衛権であって自衛力ではないとする見方においても、古関の認識は通用する、と述べているが、この意味は取り難い。
寺川は、第 3 節の議論の中で、その論調が改憲論者に好まれている西修の衆議院憲法調査会での「憲法制定過程に『押しつけ』はあったが、今の憲法をどう評価するかは別問題である」という発言を取り上げている。そして、この発言は「押しつけ」の事実を「自主憲法制定」(現行憲法改正)に直結させることへの戒めであると理解すべきであろう、と評価している。皮肉にも、ここに著者の結論の一部が込められている。この論文には熟読しないと(ときには、熟読しても)論旨が呑み込めないところもあるが、結論については、私はまったく同感するものである。
- 寺川史朗『日本の科学者』Vol. 40, No. 3, p. 24 (2005)。
- 古関彰一『新憲法の誕生』(中公文庫, 1995)p. 317–318。
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