2005年2月16日水曜日

時間の floccinaucinihilipilification をつつしむ

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952 年 2 月 16 日(土)雨

 ショート・ホーム時に、SM 君の議員辞任はあっさりと否決された。彼の辞任届の内容と採決までの議論は周到なものだったのだが、休み時間と放課後遅くなるまでの時間に生徒会室に浸り切って会則改正案作成に心血を注いでいる彼が、ここでやめるのを認めることは、彼自身以外の誰にも出来ない。
 放課後、KJ 君と SN 君は北国第一劇場へ飛んで行ったが、ぼくは来学年に備える書物のために、時間の floccinaucinihilipilification [1] をしてはならないと思って、行かなかった。
 I have nothing to keep in exchange for it. こういって固執してよいほどのものを求めながら、求められないままに今週も終る。

(Sam)

1952 年 2 月 16 日(土)雪

 第三回市内高等学校タイプライター競技会が桜ケ丘高校で行われる。二水からは十二名が参加する。来る電車も来る電車も混んでいるから、ラッシュアワーのためだろうと思っていたら、何のことはない、北国第一劇場の『南部の唄』を観に行く小学生たちでいっぱいなのだ。われわれはポータブルを片手に持っているから、重くてやり切れない。席が空いたら、何はさておいてもポータブルを坐らせた。
 なかなかよい学校だ。階下はすべて石廊下になっている。階上へは四本の階段が通じている。そして、どの部屋にもストーブが用意されている。競技会の行われる部屋へ入ったら、とても暖かかったが、煙くて困った。
 KD 君と校内をぶらぶら歩いてみた。外観から考えたよりは、「おんぼろ」だ。テニスコートの横にある小丘に登って、歓呼の声をあげて駆け回った。眺望はなかなかよい。遠くに河北潟が光っているし、列車が白煙をあげて往き来する。競技規則および競技法は従来通りだ。すなわち、十分間に、与えられた問題を原則通り打てばよいのだ。字数 1575 のうち、正確に 1500 以上打てば A 級、1300 以上は B 級、1100 以上は C 級、それ以下は D 級とされる。
 この日、第一位になったのは桜ケ丘の某生徒で、1570打った。二位は本校の三年生ヨッチ、ぼくは1538で、二位との間に1542の一人を入れて第四位、次いで 1535 の生徒が二人いた。1538 といっても、全部打てなかったのではない。ぼくの場合、九分五十八秒で打ち終ったのだが、誤字を減点されたのだ。KD 君はC級に辛うじて入っていた。四行ほど打てなかったという。
 「第四位 A 級賞」だなんて、高校生活最初の賞状だ。一同は橋場町で下車して、光画社へ行き、記念写真を撮った。三年生の諸君はみな商業科の生徒だから、交渉はなかなか上手だ。一人百円のところを九十円にまけさせ、仕上がる日数を二日早くさせた。
 帰宅したら七時だったので、祖母を大分心配させたようだ。


 引用時の注
  1. 「蔑視」の意。ひじょうに長い単語の例として知られる。詳しくは
    "floccinaucinihilipilification," Wiktionary 参照。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

四方館 02/16/2005 10:43
 タイプライター競技会。こういう催しがあったのですね。いつもながら、往時をふりかえりながら 50 年代と 60 年代の差異が意外とあるものだとあらためて確認させていただいています。

Ted 02/16/2005 14:29
 Googleで検索してみますと、1986 年には、まだ全国高校タイプライティング競技会(第33回)というものがあったようです(これから計算すれば、この全国競技会は1954年、私たちの日記の2年後に始まったことになります)。なお、全国高等学校ワープロ競技会というのも検索で出て来ましたが、これは 2003 年 6 月に第 51 回を数えており、少なくとも年 2 回の開催かと考えられます。それにしても、こちらの方はハードウエアの変遷が激しく、競技会の方式の決め方の難しさが想像されます。

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