2005年2月1日火曜日

苦手

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952 年 2 月 1 日(金)晴れ

 月曜日から、火曜日を除いて、木曜日までは不安のうちに、金曜日から日曜日までは安堵のうちに、毎週を過ごしているようだ。それを支配するのはわずか一つのことに過ぎないのだが、また、そのこととて、たいていは不安の必要もなく過ぎてしまうのだが。[1]
 中学時代は、朝数史音国社、選国数理保、音選職々理体、などと(まだ、これほどよく覚えている)経文のように時間割を覚えていたものだが、いまの時間割はそういう覚え方をしていない。何の次は必ず何。何が終った後は、どの廊下を通ってどこそこへ行って何 [2]。何は何曜日が 1 限、次の日が 2 限、その次が 3 限…、というような奇妙な割り出し方をしている。解生図英国社というように覚えたほうがよいかも知れない。
 図画は静物を仕上げて出した。英語は 11 行(8 問題)しか進まなかったので、
  A boy could decide entry.
  Angry beasts caught dogs excitedly.
という文を作ったが、これ以上は浮かばなかった。

(Sam)

 リーダーの試験は、熟語の訳を目的とした和訳が二題、hearing と fill in the blanks が四題だった。どれも完全に出来たつもり。
 保健体育理論のテストの一題目は、「下にある適語を選んで空所を補い完全な文となせ」というのだった。一行に二、三の空所があり、「( )として( )と( )を愛し、…」といった具合だ。下には十語しかないのに、括弧が十一ある。一語を二度使用してもよいかと質問したら、自由にし給えという。空所に入れるべき適語のないところがあるが、問題の誤りでは、と問えば、そんなことはない、である。腑に落ちなくて困ったが、結局、適語のない空所はそのままにして出した。十分に抗議する理由があるから、そのつもりで——。
 アセンブリーで、来年度の教科過程の暫定表が発表される。この前のときは、A、B、C、D、Eというコース名だったが、今度はG、H、L、P、Sと、何かのイニシャルらしくなっている。前とはたいして変わっていないが、ぼくの目指すコースでは、人文地理だったところが世界史になっている。来年は理科を取らないことにする。漢文もしない。そして、国語乙と国語(二)を一挙に修める。国語(一)を修めなくても、(二)をお修めてよいことにするそうだ。芸能は書道をするつもりだ。
 KD 君から速記で連絡の紙片を貰った。何だか楽しみだ。


 引用時の注

  1. 体育実技のある日が嫌いだったのである。
  2. 科目ごとに受ける教室が異なっていたので、休み時間はつねに移動に当てられた。いまでも、次はどの教室へ行くのか迷っている夢を見ることがある。実際にはほとんど迷わなかったのだが。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

四方館 02/01/2005 12:29
 Ted さんの頃は、芸術教科といわず、芸能と云ったのですね。私の時は、中学では図画工作だったのが、高校では美術となりました。

Ted 02/01/2005 13:21
 私は高校 1 年で図画を選択していましたが、それが「芸能」の一つだったとは覚えていませんでした。名称は時代とともに変遷します。数学の中の解析 I、解析 II などの名称もいまはないでしょう。

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