2005年2月25日金曜日

報道問題への論評

 加藤周一は、今月の「夕陽妄語」欄 [1] において、「報道三題」と題し、自らの過去の三つの見聞を「寓話」として記している。それらは、「現在の日本国で、与党の有力政治家が公共放送(NHK)の番組内容に圧力を加えたかどうか、その問題についての朝日新聞の報道が正確であったか、というような争いが生じた」という「特殊な事件」をきっかけに思い出したというものである。

 第1の寓話は、80 年代の英国で、その頃有名だった保守党の政治家が BBC(英国の公共放送)の「偏向報道」糾弾と、これに対する BBC 会長の反論が、主要な新聞の第1面に大見出しで掲げられ、まるでシェイクスピアの舞台のように国民生活に関係の深い劇が国民の前で演じられることに驚いたという話である。第 2 の寓話は、70 年代の米国で、副大統領と有力な一新聞の間に、知事時代の副大統領の収賄・脱税疑惑などをめぐって対立が生じていたとき、そして、報道の自由に対する政治的圧力がある一線を越えたとき、米国中の主要な新聞がほとんどすべて結束して、徹底的に抵抗したという話。そして、第三の寓話は、30 年代後半、二・二六事件以後真珠湾までの東京で、言論の自由とあらゆる批判精神が、静かに、しかし確実に失われつつあったという話。——これは一見穏やかな論調であるが、「事件」の核心を鋭く衝いており、わが国の報道機関の反省が、いま、強く求められる。

 なお、以下の関連論評が今月の「論壇時評」欄 [2, 3] に紹介されているのも目にした。

 デーナ・ルイス/山田敏弘「世界が笑うNHKの『常識』」(『ニューズウィーク』日本版、2 月 2 日号):予算説明とともに番組内容を政治家に事前説明することを「通常業務の範囲内」とした NHK 幹部の発言は、「世界の報道機関で『非常識』とされる」と述べている [2]。

 川崎泰資(椙山女学園大)「死に瀕する『公共放送』」(『世界』):与党政治家が番組に注文をつけたことを、「世間の常識ではそれを政治介入という。語るに落ちるとはこのことだ」と批判している [3]。

 服部孝章(立教大)「『検閲』は許されない」(『世界』):事前であれ事後であれ、放送内容の国会議員への説明はすべきでない、と主張している [3]。

 田島泰彦(上智大)「放送の自由が傷つけられている」(『論座』):事前に説明するというのは「権力から独立して権力を監視する役割を担う報道機関としては信じ難い感覚」と批判している [3]。

  1. 加藤周一「夕陽妄語」朝日新聞夕刊(2005 年 2 月 22 日)。
  2. 金子勝「論壇時評」朝日新聞夕刊(2005 年 2 月 24 日)。
  3. 田代忠利「論壇時評」しんぶん赤旗(2005 年 2 月 24 日)。

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