憲法再生フォーラムが編さんした表記の岩波新書 [1] は、時宜を得た出版物である。同フォーラムは「日本国憲法の基本的諸価値に積極的な意義を認め、それを擁護し発展させていく」という申し合わせに賛同した人びとからなる研究会として、2001 年 9 月に発足している。
本書は、【まえがき】、7 章からなる本文、そして、【あとがき】から成る。各章には、たとえば第 1 章の【いま、憲法九条を選択することは、非現実的ではないか】のように、それぞれ、長い疑問文の題名がついている。各章の執筆者は、その疑問に対して読者が自分で答を考えることが出来るような判断材料を丁寧に述べている。
編さんしたフォ-ラムの性格上、執筆者の考えは当然、護憲側に傾いている。しかし、同じく当然のことながら、【まえがき】において、その執筆者・加藤周一は「さて、護憲をとるか、改憲をとるか、その選択は読者の自由です」と、あえて述べることにより、いま改憲が必要と考えている読者にも取っつきやすい書物としている。この傾向は、本文各章の個別執筆者のソフトな語り口によって、全編に貫かれてもいる。
なかでも、第 3 章【「憲法」は選びなおさないと,自分たちの憲法にはならないのではないか】を執筆している杉田敦は、自分がいわゆる護憲論者ではなく、かといって改憲論者でも毛頭なく、むしろ護憲—改憲という軸で憲法を論じることそのものをやめるべきだと考えている者だ、と述べている。彼の主張は、イギリス的なコンスティテューション(法と慣習の総体としての制度構造全体)の考え方のもとに、その充実を図ることこそが求められている、というものであるが、これは改憲の動きが激しいいま、つきつめれば、護憲の上に立つ考え方になろう。
第 6 章【市民がどれだけがんばっても,しょせん戦争は止められないし,世界は変わらない.憲法九条も変えられてしまうのではないか】において、北沢洋子は、1990 年代以降、次つぎに展開されたグローバルな市民の活動を紹介している。それは対人地雷禁止国際条約を実現させた NGO(その連合体、地雷禁止国際キャンペーン ICBL とそのコーディネーターのジョディ・ウイリアムズは 1997 年にノーベル平和賞受賞 [2])の運動であり、「為替取引に課税し、市民を援助する協会(ATTAC)」による反グローバリゼーションの運動であり、WTO と闘う「G20」の農民運動であり、さらに、イラク戦争反対の世界的な動きである。日本のマスメディアが「全くといってもいいほど」報道して来なかったこれらの運動は、「改憲状況」において日本の市民に勇気と知恵を与えるものとして、もっとよく知られなければならない。
第 7 章【現実と遊離してしまった憲法は,現実にあわせて改めた方がいいのではないか】において、水島朝穂は、集団的自衛権が歴史的遺物であることを分かりやすく説明し、憲法九条が世界市民の共有財産であることに言及して結んでいる。この章はまさに改憲問題の核心をついているといえよう。
後日の追記:この記事を短縮したものを「改憲か護憲かを考えるためのよい判断材料」の題名でアマゾンのカスタマー・レビューとして投稿した。
コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)
四方館 02/16/2005 15:11
先日紹介した、小森陽一氏の小論のごとく、戦後 60 年を「新植民地的無意識」を下意識に封じ込めつつ、わが日本の大衆は、無知の知による知恵でもって、一億総ノンポリ化し、日和見的な平和主義を、日々の平穏無事を享受しております。以前に、「改憲を政治日程にどうしてもあげたいというなら、やれるものならやってごらん」と申したのは、まだまだ、この日本では、ノンポリ大衆の知が、いざ国民投票となったとしても、9 条改訂に過半の賛成をするとは思えないからです。それ以前に、国会で憲法改定動議を 2/3 以上でもって可決すること自体が、極めて可能性の乏しいことだと受け止めております。もちろん、不測の事態、これはまったく可能性のないことではありませんが、現実に第二のグランドゼロの如きテロ攻撃が、東京なり、日本の大都市の何処かを襲った場合には、雪崩をうって改憲へと走り出すでしょうが …。
Ted 02/16/2005 19:51
ウエブサイト「高まる憲法改正論議」(Foreign Press Center/Japan, 2004 年 5 月 20 日付け)には、2004 年 5 月、朝日新聞の世論調査で憲法改正支持が初めて 5 割を超え、主要紙世論調査ではすべて改憲派が多数を占めることになったこと、また、国会議員について毎日新聞が実施したアンケート(回収率 75.5%、545 議員が回答)では、改憲派 78%、護憲派 14% となっていることが報告されています。私はこれらのことから、今後、護憲運動が大きな高まりを示さなければ、憲法は「改正」される可能性が大きいと危惧しています。
四方館 02/18/2005 04:22
私もこの事実を知らない訳ではないのです。ただ、ここでは改憲か護憲かの二者択一論議が主題となっているように思われます。田原総一郎の朝ナマなどを見ていましても、護憲一辺倒では世論形成が困難になってきているのは明白ですが、かといって平和主義を捨て去ろうとする意見が多数を占めている訳では決してないと思われます。慣習法的な憲法であればともかく、日本の憲法は条文化されています。自衛隊の存在の違憲性ひとつ取り上げても、国民の本音は違憲であろうと判断しているのが多数だと思います。ならば、自衛隊の存在をどのようなレベルで追認するのかに関して、国民の合意形成は容易に図れるものではないというのが、現在の私の判断です。
Ted 02/18/2005 08:21
確かに、世論調査は設問の方法によって回答が左右されます。9条が述べている戦争放棄の是非だけを問えば、9 条を守る意見がなお多数でしょう。しかし、昨年 11 月いったん明らかになったあと撤回された自民党憲法調査会による改憲案大綱原案からも推定されるように、改憲は「戦争放棄」の言葉を残したままで、海外派兵が完全に合法となる自衛軍の創設を決める方向で進められようとしています。日本の大衆の「無知の知」にも限界があり、この矛盾を見抜けないで騙されてしまう可能性がなくはありません。その可能性を防ぐため、私は「改正」の真の意図や、世界の動きの長期的展望と日本の憲法の関係などについての知識を大衆に広める運動が、いま重要であると思います。
本書は、【まえがき】、7 章からなる本文、そして、【あとがき】から成る。各章には、たとえば第 1 章の【いま、憲法九条を選択することは、非現実的ではないか】のように、それぞれ、長い疑問文の題名がついている。各章の執筆者は、その疑問に対して読者が自分で答を考えることが出来るような判断材料を丁寧に述べている。
編さんしたフォ-ラムの性格上、執筆者の考えは当然、護憲側に傾いている。しかし、同じく当然のことながら、【まえがき】において、その執筆者・加藤周一は「さて、護憲をとるか、改憲をとるか、その選択は読者の自由です」と、あえて述べることにより、いま改憲が必要と考えている読者にも取っつきやすい書物としている。この傾向は、本文各章の個別執筆者のソフトな語り口によって、全編に貫かれてもいる。
なかでも、第 3 章【「憲法」は選びなおさないと,自分たちの憲法にはならないのではないか】を執筆している杉田敦は、自分がいわゆる護憲論者ではなく、かといって改憲論者でも毛頭なく、むしろ護憲—改憲という軸で憲法を論じることそのものをやめるべきだと考えている者だ、と述べている。彼の主張は、イギリス的なコンスティテューション(法と慣習の総体としての制度構造全体)の考え方のもとに、その充実を図ることこそが求められている、というものであるが、これは改憲の動きが激しいいま、つきつめれば、護憲の上に立つ考え方になろう。
第 6 章【市民がどれだけがんばっても,しょせん戦争は止められないし,世界は変わらない.憲法九条も変えられてしまうのではないか】において、北沢洋子は、1990 年代以降、次つぎに展開されたグローバルな市民の活動を紹介している。それは対人地雷禁止国際条約を実現させた NGO(その連合体、地雷禁止国際キャンペーン ICBL とそのコーディネーターのジョディ・ウイリアムズは 1997 年にノーベル平和賞受賞 [2])の運動であり、「為替取引に課税し、市民を援助する協会(ATTAC)」による反グローバリゼーションの運動であり、WTO と闘う「G20」の農民運動であり、さらに、イラク戦争反対の世界的な動きである。日本のマスメディアが「全くといってもいいほど」報道して来なかったこれらの運動は、「改憲状況」において日本の市民に勇気と知恵を与えるものとして、もっとよく知られなければならない。
第 7 章【現実と遊離してしまった憲法は,現実にあわせて改めた方がいいのではないか】において、水島朝穂は、集団的自衛権が歴史的遺物であることを分かりやすく説明し、憲法九条が世界市民の共有財産であることに言及して結んでいる。この章はまさに改憲問題の核心をついているといえよう。
- 憲法再生フォーラム編、改憲は必要か(岩波, 2004)。
- 本書では受賞がこの翌年であるように誤記されている。
後日の追記:この記事を短縮したものを「改憲か護憲かを考えるためのよい判断材料」の題名でアマゾンのカスタマー・レビューとして投稿した。
コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)
四方館 02/16/2005 15:11
先日紹介した、小森陽一氏の小論のごとく、戦後 60 年を「新植民地的無意識」を下意識に封じ込めつつ、わが日本の大衆は、無知の知による知恵でもって、一億総ノンポリ化し、日和見的な平和主義を、日々の平穏無事を享受しております。以前に、「改憲を政治日程にどうしてもあげたいというなら、やれるものならやってごらん」と申したのは、まだまだ、この日本では、ノンポリ大衆の知が、いざ国民投票となったとしても、9 条改訂に過半の賛成をするとは思えないからです。それ以前に、国会で憲法改定動議を 2/3 以上でもって可決すること自体が、極めて可能性の乏しいことだと受け止めております。もちろん、不測の事態、これはまったく可能性のないことではありませんが、現実に第二のグランドゼロの如きテロ攻撃が、東京なり、日本の大都市の何処かを襲った場合には、雪崩をうって改憲へと走り出すでしょうが …。
Ted 02/16/2005 19:51
ウエブサイト「高まる憲法改正論議」(Foreign Press Center/Japan, 2004 年 5 月 20 日付け)には、2004 年 5 月、朝日新聞の世論調査で憲法改正支持が初めて 5 割を超え、主要紙世論調査ではすべて改憲派が多数を占めることになったこと、また、国会議員について毎日新聞が実施したアンケート(回収率 75.5%、545 議員が回答)では、改憲派 78%、護憲派 14% となっていることが報告されています。私はこれらのことから、今後、護憲運動が大きな高まりを示さなければ、憲法は「改正」される可能性が大きいと危惧しています。
四方館 02/18/2005 04:22
私もこの事実を知らない訳ではないのです。ただ、ここでは改憲か護憲かの二者択一論議が主題となっているように思われます。田原総一郎の朝ナマなどを見ていましても、護憲一辺倒では世論形成が困難になってきているのは明白ですが、かといって平和主義を捨て去ろうとする意見が多数を占めている訳では決してないと思われます。慣習法的な憲法であればともかく、日本の憲法は条文化されています。自衛隊の存在の違憲性ひとつ取り上げても、国民の本音は違憲であろうと判断しているのが多数だと思います。ならば、自衛隊の存在をどのようなレベルで追認するのかに関して、国民の合意形成は容易に図れるものではないというのが、現在の私の判断です。
Ted 02/18/2005 08:21
確かに、世論調査は設問の方法によって回答が左右されます。9条が述べている戦争放棄の是非だけを問えば、9 条を守る意見がなお多数でしょう。しかし、昨年 11 月いったん明らかになったあと撤回された自民党憲法調査会による改憲案大綱原案からも推定されるように、改憲は「戦争放棄」の言葉を残したままで、海外派兵が完全に合法となる自衛軍の創設を決める方向で進められようとしています。日本の大衆の「無知の知」にも限界があり、この矛盾を見抜けないで騙されてしまう可能性がなくはありません。その可能性を防ぐため、私は「改正」の真の意図や、世界の動きの長期的展望と日本の憲法の関係などについての知識を大衆に広める運動が、いま重要であると思います。
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