2005年2月2日水曜日

『明日では遅過ぎる』

高校時代の交換日記から。

 [引用時のまえがき]この日、Samも私も、別々にだが、学校推薦のイタリア映画『明日では遅過ぎる』を見ている。青少年の無知・無責任な性交渉をいましめる内容のものであった。二人とも、詳しい感想を書きあぐんでいる。いま、「明日では遅過ぎる」という言葉は、環境問題などに使われているようである。

(Ted)

1952 年 2 月 2 日(土)雪

 Y・S 先生が「必ずグラフ用紙を持っていらっしゃい」といわれたので、解析の試験があるあると皆が騒いで迎えた第 2 限だったが、黒板にずらりと書かれた問題は練習問題に過ぎなかった。
 クラブ活動は、学校を訪問してアンケートをとることになっていた。くじ引きをしたら、KJ-SN-Ted 組は「北陸」[1] だなんて、とんでもないものを引き当ててしまった。
 玄関の先には細い廊下が奥へ延び、すぐ左には階段があって、学校という感じからやや遠い。出て来た生徒会会長は、いやに落ち着いていた。あとで、KJ 君と SN 君は「貫録あったな」と繰り返していた。KJ 君が質問用紙を示して、「そのぅ…こんな問題について、あのぅ…」といったものだから、その場で答えて貰いこちらで記入するつもりだったのが、「問題を写させて下さい。月曜日にお答えします」ということになった。

 電車を県庁前で乗り換え、映画館へ直行。「明日では遅過ぎる」ということもあるだろう。あるだろう。――こんな感想しかいう必要がないように感じた。KS 君、TKN 君、KJ 君らは、繰り返してもう一回見ていたけれども、HN 君と帰って来た。傘の柄が曲がったのを伸ばしたが、裂け目が出来て、ふくらんでしまい、開かない。綾部の乗り換え的混雑だったし、損害も同様になった。(綾部の乗り換えというのは、戦時中大連へ引っ越すとき、台風で北陸本線が不通となり、迂回した綾部駅での混雑のことである。母といまでも思い出して一緒に苦笑するのだが、ぼくは駅の高架橋で倒れそうになり、傘を投げ捨てて来た。)HN君が大学前電停近くの傘屋でペンチを借りて直してくれた。しかし、傘の寿命はもう長くない。30 円と 2 時間半を奪ったものについて、もっと書こうと思ったが、やはりダメだ。

 「言葉さがし」[2] か。われわれが英語で始めたものによく似ている。こんな記録が出来た [3]。敬七さん [4] は「数字の四」とでもいえば、負けないですんだのに。

(Sam)

 来週のホームルーム時について、昨日、けっきょく、私は誰でしょうと二十の扉を合わせた形のものをすることにした。始めに私は誰でしょうの形式で第二ヒントまでやり、そのあとは、解答者が五問まで質問でき、その間に正解しなければならない、というのである。解答者は、カードを作って抽選で選ぶことにしたが、それが好感を呼んだ。この抽選に不正がないことの証拠には、ぼくが四番目に当たってしまった。抽選の方法は、0 から 3 までのカードと 0 から 9 までのカードを作り、始めのは 10 の位、後のは 1 の位となるのである。そして、出席番号が抽選番号になるということにした。

 KD 君から昨日の件の具体的なものを貰った。
 「そもそもは I が中学校へ入った時から始まる。場所は敦賀市。(中略)だいたい敦賀は金沢とその雰囲気が月とスッポンくらい違う感じだ。I のような環境に支配されそうな人間は、近ごろまったく気持ちが沈んでしまった。君もそんな人物とつき合いたかったら返事を乞う。友だちは何人でもより取り見取りだが、とくに二人目の人間を紹介する。」
紹介された二人の人間は、その言葉だけ見ると、なかなかの者らしい。一人は原子カッパといい、もう一人は西雲寺というのだそうだ。

 イタリア語って、なんとやかましいものなんだろう。ガサガサッとしている。このような問題には、やはり各国共通のものがある。われわれの必見映画とうことに異議はない。どうも映画の批評や感想を書くのは下手で困る。


 引用時の注
  1. 女子高校。
  2. NHK ラジオ番組「とんち教室」で行われたゲームの一つ。
  3. 「言葉さがし」の記録を別紙に記して日記帳に挿入したようだが、残っていない。
  4. 石黒敬七(1896–1974)、柔道家で文系方面にも活躍。「とんち教室」に企画段階から参画し、そのレギュラーメンバーだった。

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