高校時代の交換日記からの
(Sam)
1952 年 3 月 1 日(土)曇り
Lesson(という言葉を Ted はよく使うね)の上ではべつに変わったこともなかったが、毎週のことながら土曜日はあわただしい。先週のきょう以来、三年生がいなくなってしまったのだが、さほど何とも思われない。ただ、直接関係のあることといえば、商業の授業の生徒が二名少なくなったくらいのものだろう。しかし、その他に、きょうはもう一つ感じた。ブランク時が、ひじょうに静かな状態のうちにいられたことだ。
OK 君の仕事を少し手伝ってから帰り、鞄と弁当箱を家におくと、さっそく、エレベーターを新設中の建物の前の停留所 [1] へ足を運ぶ。——
きょうから弥生。明後日は節句というので、家へ来ている子どもたち [2] が、色紙や艶紙やボール紙を持ってきて「おひなさん」を作った。大部分はぼくが作ってやったのだから、彼らがじっさいにした部分はごくわずかである。それでも、彼らはとても嬉しそうだった。きょう中にぜんぶ出来なかったから、明日、彼らは朝から来てするだろう。
(Ted)
1952 年 3 月 1 日(土)晴れ
『週刊朝日』3 月 9 日号の「問答有用」の徳川夢声と風見章の対談から。
風見はカナ書き論を唱えている。次のような具合か。
「アルガカタチハニンゲンヲモトキニセイブツヤフウケイノヨウニエガイテイルガ、ソウイウイワバショクブツセイヲシンキョウトイウコトバハモッテイルヨウデアル。」
少し読みやすくするため、分かち書きにすれば、
「シタガッテ テンケイテキナ シンキョウ-ブンゲイ ニハ ツネニ スンダモノ ガ アル。スム ト イウ コト ハ ニンゲン ガ ソノ ドウブツセイ ヲ ダッキャク アルイハ ショウカ スル コト デアル。」
平カナまじりにすれば、
「シンキョウ-ショウセツというものは、つまり、シンキョウのセイコクな [3]」(やはり分かりにくい)
あるいは、
「かがくてきぶんせきヲめざすノデハナクテ…」
いずれにしても読みにくそうだ。(「」内は谷川徹三の「心境芸術」の文による。)
『てんやわんや』の中に出て来て、1、2 日前の夕刊随想にも誰かが書いていた「求心的」とは、どういうことだろう。いまのぼくの心は何を求めようとしているのだろう。[4] とても複雑だ。
引用時の注
コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)
Y 02/24/2005 12:58
私は、今は離れていて一時的に忘れていますが、古文が非常に好きで、得意でした。大学入試では擬古文が出ますが。「言う」を「云う」と書いたり、柔らかい感じを表出するためにひらがなを多くする人がいますね。私はブログでは分量を少なくするために、ひらがなにしたい部分も漢字にすることが多いですが、小説や、論文執筆では、文字数制限より自分の漢字・ひらがな遣いをいかに独自流にするかのほうが重要な問題になります。そういう意味でも、文科系は、一文取っても作家集団のようなものですね。
Ted 02/24/2005 16:56
「漢字・ひらがな遣いをいかに独自流にするか」が、小説の場合に重要ということは察しがつきますが、文科系論文もそうですか。
私は国内の和文専門誌から依頼されたレビュー論文以外は、全くといってよいほど和文では論文を書きませんでした(同じ専門分野の人たちの間で、「英文でしか書かない人」として知られていたほど)ので、和文を書くときの漢字・平仮名の振り分けが、いまだに定着していない気がします。Y さんが読まれて、どう感じられますか。
Y 02/24/2005 17:22
Ted さんの高校時代の日記の文章でもそうですし(一部書き換えて解りやすくされた部分があるとのことですが)、今、普通に書かれるいろいろな映画や評論や著書などの紹介のブログなどについても、非常に自然で、「Ted さんのエコログは読みやすいです」と私がいつも言っていますよね、それの基本点が Ted さんの文章、文字遣いにあるのだと思います。平易に思えるほどの誠実さ、なのだと思いますよ。
私たち文科系の論文書きは、学部時代から、もちろんここをこんな漢字に、ひらがなに、などということは誰も、指導までしてもらえません。皆、手本とする著書などから拾ってくるんですね。
文科系の、私がやってきた広く人間学といえるような分野の学術論文というのは、ほとんど、芸術的なわざ、芸術的な感性にまで訴えかけるような「物書き」でいなければなりません。
私は広くは社会学の領域に入る「(障害者)福祉」の問題について、人間学的に(つまり彼らが「この生を生きる」ということについて)考察する論文を書くことになりますので(やはりそれが一番向いているので、社会学やさんになるつもりはないのです)、
とにかく、文科系は意思のある人は出発点とした分野をどんどんはみ出していくものだと、最初の指導教官から教えられました。その教官も、修士号だけで一旦学問をやめて、のちに京大で助教授、教授となっていかれて、書かれる論文の文章はどんどん変わっていかれていますよ。もちろん年齢的なもの、経験的なもの、考察・今までの研究の反省の深まりが論文の文章には大いに反映されますね。
Ted 02/24/2005 17:42
素早いお返事、ありがとうございました。「人間学」ですか。私は大学生時代、「趣味は人間の研究」などといって、小説を読んだり、友人たちとの手紙の交換を楽しんだりということに、理学部の学生にしては比較的多くの時間を使っていたものです。退職後に細々続けている専門の仕事が次第に片づいて来れば、また、「人間の研究」に向かうことでしょう。Y さんから、いろいろ教えて貰わなければなりません。
(Sam)
1952 年 3 月 1 日(土)曇り
Lesson(という言葉を Ted はよく使うね)の上ではべつに変わったこともなかったが、毎週のことながら土曜日はあわただしい。先週のきょう以来、三年生がいなくなってしまったのだが、さほど何とも思われない。ただ、直接関係のあることといえば、商業の授業の生徒が二名少なくなったくらいのものだろう。しかし、その他に、きょうはもう一つ感じた。ブランク時が、ひじょうに静かな状態のうちにいられたことだ。
OK 君の仕事を少し手伝ってから帰り、鞄と弁当箱を家におくと、さっそく、エレベーターを新設中の建物の前の停留所 [1] へ足を運ぶ。——
きょうから弥生。明後日は節句というので、家へ来ている子どもたち [2] が、色紙や艶紙やボール紙を持ってきて「おひなさん」を作った。大部分はぼくが作ってやったのだから、彼らがじっさいにした部分はごくわずかである。それでも、彼らはとても嬉しそうだった。きょう中にぜんぶ出来なかったから、明日、彼らは朝から来てするだろう。
(Ted)
1952 年 3 月 1 日(土)晴れ
『週刊朝日』3 月 9 日号の「問答有用」の徳川夢声と風見章の対談から。
夢声:鹽だの龜なんてのは、いまだに書けませんな。漢字をできるだけすくなくして、カナで用を足すということは、ぼくも賛成なんですがね、いまの新カナづかいのほうは、意味が反対になっちゃったりして、困ることもある。たとえば「外に出る」という意味の文語は、古いカナづかいでは「出づ」と書いたわけですが、これを新カナで「出ず」と書くと、「外に出ない」ことになっちゃう…。…略…「出づ」は文語の動詞で、「ず」を打消しの助動詞とするのも文語だ。新カナを使うときは口語だけを使えば、夢声のいう「困ること」は起こらないではないか。
風見:…略…信州では、「行く」というところを「行かず」というんだ。「風呂へいこうか」っていうと、「行かず」といってついてくる。松岡君にきいたら「行きなす」という古語が「行かず」になったんだそうです。
夢声:「おはようございます」が「オス」になっちゃったようなもんですね。
風見はカナ書き論を唱えている。次のような具合か。
「アルガカタチハニンゲンヲモトキニセイブツヤフウケイノヨウニエガイテイルガ、ソウイウイワバショクブツセイヲシンキョウトイウコトバハモッテイルヨウデアル。」
少し読みやすくするため、分かち書きにすれば、
「シタガッテ テンケイテキナ シンキョウ-ブンゲイ ニハ ツネニ スンダモノ ガ アル。スム ト イウ コト ハ ニンゲン ガ ソノ ドウブツセイ ヲ ダッキャク アルイハ ショウカ スル コト デアル。」
平カナまじりにすれば、
「シンキョウ-ショウセツというものは、つまり、シンキョウのセイコクな [3]」(やはり分かりにくい)
あるいは、
「かがくてきぶんせきヲめざすノデハナクテ…」
いずれにしても読みにくそうだ。(「」内は谷川徹三の「心境芸術」の文による。)
『てんやわんや』の中に出て来て、1、2 日前の夕刊随想にも誰かが書いていた「求心的」とは、どういうことだろう。いまのぼくの心は何を求めようとしているのだろう。[4] とても複雑だ。
引用時の注
- 大和デパート前の片町停留所のことか。
- 町内の子ども会の世話でもしていたのだろう。
- 仮名書きに替える前の原文は「正鵠な」だったろうか。これを仮名書きしたのでは本当に分かりにくく、次の()内の文の記入に及んだのだろう。
- 「求心的」とは、何かの中心を求める傾向であろうが、このことばに関連して、心が求めているものに言及しているところを見ると、その意味がまったく分かっていなかったようである。
コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)
Y 02/24/2005 12:58
私は、今は離れていて一時的に忘れていますが、古文が非常に好きで、得意でした。大学入試では擬古文が出ますが。「言う」を「云う」と書いたり、柔らかい感じを表出するためにひらがなを多くする人がいますね。私はブログでは分量を少なくするために、ひらがなにしたい部分も漢字にすることが多いですが、小説や、論文執筆では、文字数制限より自分の漢字・ひらがな遣いをいかに独自流にするかのほうが重要な問題になります。そういう意味でも、文科系は、一文取っても作家集団のようなものですね。
Ted 02/24/2005 16:56
「漢字・ひらがな遣いをいかに独自流にするか」が、小説の場合に重要ということは察しがつきますが、文科系論文もそうですか。
私は国内の和文専門誌から依頼されたレビュー論文以外は、全くといってよいほど和文では論文を書きませんでした(同じ専門分野の人たちの間で、「英文でしか書かない人」として知られていたほど)ので、和文を書くときの漢字・平仮名の振り分けが、いまだに定着していない気がします。Y さんが読まれて、どう感じられますか。
Y 02/24/2005 17:22
Ted さんの高校時代の日記の文章でもそうですし(一部書き換えて解りやすくされた部分があるとのことですが)、今、普通に書かれるいろいろな映画や評論や著書などの紹介のブログなどについても、非常に自然で、「Ted さんのエコログは読みやすいです」と私がいつも言っていますよね、それの基本点が Ted さんの文章、文字遣いにあるのだと思います。平易に思えるほどの誠実さ、なのだと思いますよ。
私たち文科系の論文書きは、学部時代から、もちろんここをこんな漢字に、ひらがなに、などということは誰も、指導までしてもらえません。皆、手本とする著書などから拾ってくるんですね。
文科系の、私がやってきた広く人間学といえるような分野の学術論文というのは、ほとんど、芸術的なわざ、芸術的な感性にまで訴えかけるような「物書き」でいなければなりません。
私は広くは社会学の領域に入る「(障害者)福祉」の問題について、人間学的に(つまり彼らが「この生を生きる」ということについて)考察する論文を書くことになりますので(やはりそれが一番向いているので、社会学やさんになるつもりはないのです)、
とにかく、文科系は意思のある人は出発点とした分野をどんどんはみ出していくものだと、最初の指導教官から教えられました。その教官も、修士号だけで一旦学問をやめて、のちに京大で助教授、教授となっていかれて、書かれる論文の文章はどんどん変わっていかれていますよ。もちろん年齢的なもの、経験的なもの、考察・今までの研究の反省の深まりが論文の文章には大いに反映されますね。
Ted 02/24/2005 17:42
素早いお返事、ありがとうございました。「人間学」ですか。私は大学生時代、「趣味は人間の研究」などといって、小説を読んだり、友人たちとの手紙の交換を楽しんだりということに、理学部の学生にしては比較的多くの時間を使っていたものです。退職後に細々続けている専門の仕事が次第に片づいて来れば、また、「人間の研究」に向かうことでしょう。Y さんから、いろいろ教えて貰わなければなりません。
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