2005年1月31日月曜日

精神生活の遊離



高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952 年 1 月 31 日(木)晴れ

 むやみに感動詞を発したくなる。雲間を抜け、野原に遊び、地に潜り…、さまよう、さまよう。しまいにはさまよい場所が分からなくなる。——精神生活だけが、全体の生活から遊離しようとしているのかも知れない。

 アセンブリーは、金大の村上教授の講演。昨年の渡米視察に基づいた「アメリカのハイスクール」という話。話のあらゆるところから、日光を満面に受けて飛び回っている感じの、活動的、積極的、実際的なアメリカの学生の姿がうかがわれた。Sam のホームルーム・アドバイザーが昨年 11 月 19 日に話したという事柄 [1] についての話題も出たが、アメリカのそれは、じつにはっきりしている [2]。

 掃除をして帰ったら、4 時。反省と思索をしていたら 5 時になる。目は樺色の雲に、心は届くかぎりの世界へ。もう 1 時間このままにしている、というのも一つの魅力だが、机上には、広げられるのを待っている本とノートがある。ああ、バカだった。動詞で比較級を作ったバカ。このバカに誰が …。おう、無能力者よ、慎め。

 KJ 君が、trade という語を誤って解釈していたと、AS・X 子さんとか(彼の兄さんが家庭教師に行っていた旅館の人だ)に葉書を書いていたが、…たとえ先方が気づいていなくても、過失を謝ることは不必要ではない。とすると …。しかし、その前に、『新樹』の原稿に書いた最後の文章が実行出来ていなければならない。[3] …「歌の花暦」[4] が始まった。

(Sam)

 Grammar and Composition は、先生が「大学入試問題にあったのだが」といって、participial construction の問題を三題出される。例を一つ書けば、"Having finished my work, I went out for a walk."(新潟大)というのを、"After I had finished my work, I went ..." とすればよいのである。訳は書かなくてもよかったから、そんなに難しいことはなかった。誰よりも先に持って行ったら、黒鉛筆で三つ丸をつけたあと、「誰にも見せてはいけません」といわれたが、席に帰ってから二分ほどで時間が終ってしまった。「何だ、四十分もかかったのか」って?。違う違う。三十分ばかり授業があったあとで出題されたのだ。
 解析はきょうから指数関数のところだ。


 引用時の注
  1. 生徒の男女交際。
  2. 開放的である、の意か。
  3. 「とすると …」というのは、何か些細なことで、ある相手に謝らなければ、ということだったようだ。続く文には、その相手が『新樹』誌への投稿原稿の主題に関係のある女生徒であることが示唆されている。「先方が気づいていなくても」彼女に謝りたいと思っていた理由は、前年の 5 月頃に送った手紙に誤字か間違った記述があった、ぐらいのことだろうが、何かの口実で会いたい気もあったのだろう。
  4. NHK ラジオ番組の名前。午後 8 時台の番組だったとすれば、最後のパラグラフだけは、夕食後に書き加えたことになる。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

poroko 02/01/2005 00:16
 写真は朝ですか、夕方ですか? 美しいですね。最近、朝焼けも夕焼けもあまり見ていないです。

Ted 02/01/2005 07:41
 引用した高校時代の日記に「… 5時になる。目は樺色の雲に、…」とありましたので、同じ午後 5 時頃に、たまたま見られた夕焼けを撮りました。

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