2010年1月9日土曜日

ライン河、マイン河の船旅(41) (Cruise on the Rhine and Main 41)

補遺 3

 旅の第11日目、11月27日には、船でいつもより1時間15分早い6時から朝食をとり、7時に下船。バスでアムステルダムへ行き、10時55分発のルフトハンザ機でフランクフルトへ。そこから14時10分発のルフトハンザ機で関西空港へ向かい、第12日目となる11月28日、午前9時20分に到着した。

 関西空港からわが家の最寄り駅までJR阪和線で向かう沿線の、紅葉の名残を示していた木々はドイツよりも美しいのだが、町並みはいかにも貧相に見えて仕方がなかった。ドイツでは、日本のように小さな住宅が密集しているところがなく、船やバスで通り過ぎたところにポツリポツリと見えた小さな町や村も、みな美しかったのがうらやましく思われる。あまり美しいとはいえない工業地帯もちらりと見えはしたけれども。

 ドイツでは、建築物の材料が日本の家屋より保存に適しているということがあるにしても、空襲で破壊されたところでも、昔の様式のままに復元しているのが素晴らしい。自国伝来のものに強い誇りを持っていることの現れであろう。その反面、過去のナチズムに対しては徹底的な反省がなされたが、日本では侵略戦争に対する反省が不十分で、それを美化する人々さえいることは恥ずかしいではないか。

 上記の感想は、帰国後、一友人へのメールにすでに書いたものだが、その後読んでいた加藤周一の著書 [1] に、私の感想に通じる文があり、わが意を得たりと思ったことであった。その文は、京都で庭園設計をしていた芸術家、マーク・ピーター・キーン氏についての話の中で、京都の路地と家並みが美しかったので米国の爆撃目標からはずされたといわれているにもかかわらず、戦後日本の不動産業者がその大部分を破壊したことを歎いているものである。そして、欧州には「歴史的中心部」の破壊を放置する町はない、とも記している。いまからでも、日本の行政が歴史的町並みの保存にもっともっと力を入れることが望まれる。

わが家の玄関先で出迎えてくれたヒッペアストラム(アマリリス)の花。

 わが家の植木鉢で育てているアマリリスが3年ほど前から12月に花を咲かせるので、不思議に思っていたが、ドイツでも旅行中に花の咲いたアマリリスが売られているのを見た。『ウィキペディア』で調べると、一般に「アマリリス」と呼ばれているのは、Hippeastrum 属の園芸雑種、とある [2]。そこで、"Hippeastrum" で検索すると、英語版『ウィキペディア』のページがあり(日本語版はまだない)、「この植物は一般に、しかし間違ってアマリリスと呼ばれている」とあって、また、冬期に咲くものもあることが記されていた [3]。出発前につぼみをふくらませていたわが家のヒッペアストラムが、留守中に花開いて私たちの無事帰国を祝ってくれた(上の写真)。

 このシリーズを何人かの方々が続けて読んで下さり、温かいお言葉もいただいたことに感謝を表する。なお、[4] には、セレナーデ号に同船した方が、上手に、またマメに撮影された多数の写真をスライド・ショー形式で連載しておられたことを付記しておく。

(完)

文献

  1. 加藤周一, 『高原好日——20世紀の思い出から』(ちくま文庫, 2009).

  2. 「アマリリス」, ウィキペディア日本語版 [2009年10月27日 (火) 09:59].

  3. "Hippeastrum," Wikipedia, the free encyclopedia (21 December 2009 at 18:10).

  4. ぐりぐらのフォトログ (2009年12月2日〜2010年1月4日).

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