先日の朝日紙に、私が昨年2月に見た映画『我が至上の愛 アストレとセラドン』を作った監督で、ヌーヴェル・ヴァーグの重要人物だったエリック・ロメールを悼む文が掲載されていた [1]。彼はさる11日、89年の充実した生涯を閉ざしたのである。上記の映画は87歳のときのもので、遺作となった。
追悼文の著者は上記の映画を「優雅な卑猥さともいうべきものが漲っている」と評している。私は一向に卑猥とは思わなかった。そもそも「卑猥」という言葉は「いやしくてみだら、下品でけがらわしい」(『広辞苑』)を意味し、「優雅」と一緒に使うのは矛盾している。言葉の遊びをてらっただけの、不正確な表現に過ぎない。評において「優雅」が形容語で、「卑猥」のほうが主体的な名詞であることにも注意されたい。
イギリスのガーディアン紙の追悼文 [2] 中の『アストレとセラドン』の批評には、"the combination of the intellectual with the sensual," "sumptuous hedonic settings," "tantalizingly erotic" という表現はある。しかし、「卑猥」を意味する語 indecent, obscene, salacious, lewd, immoral, nasty, coarse, broad, dirty, ribald, smutty ("Kenkyusha's New Japanese-English Dictionary") のどれも使われてはいない。
篠山紀信氏が霊園でヌード撮影をしたとして公然わいせつの疑いで書類送検されたというニュースも、私には警察庁の行き過ぎと思われる。日本人にはおおらかさが欠けているか、あるいは、芸術的なものを見ても「卑猥」と感じる心が強過ぎるのではないだろうか。
文献
蓮實重彦, 優雅な卑猥さ生んだ「軽さ」: 映画監督エリック・ロメールを悼む, 朝日新聞 (2010年1月23日).
T. Milne, Obituary: Eric Rohmer, The Guardian (January11, 2010).
子供の裸の写真も注意が必要で、ただ息子がトイレトレーニングのためにおまるに座っている写真にしても、お風呂上がりの写真だったにしても、持っているだけで法に触れてしまいそうで、何だか窮屈な感じがします。
返信削除篠山さんも昔からかなりきわどい作品を作っていらっしゃった方なのに、何故今更、と思いました。
お子さんの写真のことを書かれたので、思い出した写真があります。物理学者ジョージ・ガモフの自伝 "My World Line" に掲載されているもので、「私のこの地球上での最初の夏」と題するものです。父母と一緒に撮られていて、「この写真は、私が男性であることと、父がカメラの前での赤児の抱き方を知らなかったこと(あるいは意識的にか)を証明している」との説明もあります。
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