M.Y. 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2009年12月分への感想を1月23日づけで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。
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「古城渓谷と中世古都巡り:ライン河、マイン河の船旅(12日間)」に奥さまと参加した旅行記を読ませていただきました。私もそのうちの数カ所の街は訪問したことがあり、数年前に聞いた NHK ラジオ ドイツ語講座でミュンヘン、ケルンの街について触れられていたこともあって、馴染み深く、新たに知ることも多くありました。
旅はミュンヘンから始まり、パッサウ港から船出し、ドナウ河を遡行しニュルンベルク手前のマイン・ドナウ運河を通り、バンベルクからマイン河を下り、ランクフルトを通りマインツよりライン河に入り、リューデスハイムからいよいよこの旅のハイライト、世界遺産ライン河渓谷クルーズを経て、ケルンで終わるものです。旅行社の NT 社が建造したオランダ船籍の「セレナーデ II 号」で航行します。その船の仕様は、1,700トン、乗客定員136名、全長110メートル、全幅11.4メートルというものです。
ライン河はその後オランダに入り、ロッテルダム付近で北海に注ぎ、他方、ドナウ河はシュバルツバルト(黒い森)を出て、東欧10カ国を通って黒海に注いでいること。運河の完成は1992年。運河の水門で水面の高さが調節され、船がドナウ、マイン河の高低差を通過することなどが、「ライン河、マイン河の船旅 (11)」に書かれています。ローテンベルク、ハイデルベルクなど河から遠く離れている所へは、バスで観光し、船が次の港で待ちうける場合もあり、河や港が混雑しないよう巧く運航されているようです。
旅行記には、多くの美しい写真やスッケチを中心に、街とその名所旧跡の歴史や説明、感想などが簡潔に書かれ、必要に応じて Wikipedia の検索結果が引用され、よくまとまった読み物となっています。国境を越えて北海から黒海までつながった河を意識し、ミュンヘンからケルンまでの地図を見ながら旅行記を読み続けると、平和でのどかな気持ちになりました。この旅行記を読んでいる途中に、NHK で放送された本年のニューイヤコンサート(ウインフィル)のアンコール曲「青く美しきドナウ」の演奏で背景に写しだされた、源流からウイーン付近、ハンガリー、ルーマニアの湿原地帯を通って黒海にとうとうと注ぐドナウ河の美しい映像を見たのも、何か縁があるものと思いました。
船内での催しや出来事が適宜書かれていて、船旅もいものだと思いました。美人パーサーのアドリアンさんがスケッチ中の筆者の写真を撮っていたので、その写真と当のスケッチを比べてみたこと*。「ドイツ語講座」や「ナプキン折り講座」。世界的なチターソリスト、トミー・テーマソンのチターのコンサート。その曲目が収められた CD を買ってサインして貰ったこと、など。「さよならカクテルパーティ」で挨拶している船長、ホテルマネジャー、総料理長、パーサーのアドリアンさんの並んだ一枚の写真は、クルーズを締めくくるに相応しい構成要素になっているようです。
日本に着いてからの次の思いには大いにうなずけます。
関西空港からわが家の最寄り駅まで JR 阪和線で向かう沿線の、紅葉の名残を示していた木々はドイツよりも美しいのだが、町並みはいかにも貧相に見えて仕方がなかった。ドイツでは、日本のように小さな住宅が密集しているところがなく、船やバスで通り過ぎたところにポツリポツリと見えた小さな町や村も、みな美しかったのがうらやましく思われる。ドイツでは、建築物の材料が日本の家屋より保存に適しているということがあるにしても、空襲で破壊されたところでも、昔の様式のままに復元しているのが素晴らしい。自国伝来のものに強い誇りを持っていることの現れであろう。その反面、過去のナチズムに対しては徹底的な反省がなされたが、日本では侵略戦争に対する反省が不十分で、それを美化する人々さえいることは恥ずかしいではないか。
「出発前につぼみをふくらませていたわが家のアマリリス(ヒッペアストラム)が留守中に花開いて私たちの無事帰国を祝ってくれた」で終わったよい旅を、心豊かに楽しまれたことと思います。
* 引用者注:私の文中に、「比べてみた」とは書いてありませんが、スケッチと写真を並べて掲載したので、その時点で比較して、家々がよく一致しているなどと思ったのは確かです。
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