2010年1月23日土曜日

最終号 (The Final Issue)

手書き時代の『堺文化会ニュース』第9号(1977年6月20日)

『堺文化会ニュース』最終200号(2010年1月20日)

 私が関係して来た「堺の文化をそだてる市民の会」(略称:堺文化会)の機関紙『堺文化会ニュース』が、昨日届いた200号を最終号として発行を終えることになった。

 堺文化会は、1972年に当時の市長が汚職のため辞職し新市長が選挙されるにあたり、清れん潔白な新市長の選出を願って作られた「きれいな堺市政をすすめる文化人の会」のあとを受けて、1974年に誕生した。その活動は、堺にある多くの各種文化団体と協力して、堺の文化水準の向上に役立つことを目的としている [1]。

 昨年、堺文化会は35周年を迎えたが、世話人たちの高齢化のため、今後は機関紙の発行と会費の徴集をやめ、必要・可能な文化活動にその都度独立採算制で取り組むという方針になったのである。

 最近の『堺文化会ニュース』は、ちゃんとした印刷になっていたが、私は1977年から6年間ほど、手書きや「ベタ刷り」を切り貼りしてガリ版刷りで仕上げた時代に編集をしていた。一つの時代の終わりとして感慨深いものがある。この機会に私は『ウィキペディア』に、堺文化会の代表世話人だった経済学者、故・上林貞治郎のページを作った [2]。

文献

  1. 上林貞治郎, 回想:『堺文化会ニュース』100号, 『堺文化会ニュース』No. 100 (1993年5月10日).

  2. 「上林貞治郎」, フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 [2010年1月23日 (土) 01:13].

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