2010年1月1日金曜日

ライン河、マイン河の船旅(33) (Cruise on the Rhine and Main 33)

リーベンシュタイン城址(右)とシュテルンベルク城址(左)。

 旅の9日目、11月25日のライン河古城渓谷クルーズ。ネコ城を過ぎてから20分あまりの間、城は現れなかったが、次に右手にリーベンシュタイン城址 (Burg Liebenstein)とシュテルンベルク城址 (Burg Sternberg) が隣り合って見えて来る(上の写真)。この二つの城には、次のような「反目する兄弟」の伝説があるそうだ。

 妻を早く亡くした騎士が、自分と残された二人の息子の世話をさせるため、美しい乙女を城に迎えた。息子兄弟はともにこの娘に惹かれたが、娘は弟の方に思いを寄せた。弟は十字軍遠征で聖地へ行くことなり、乙女は貞節を守って愛する弟の帰りを待った。しかし数年後、弟はギリシャ人の妻を連れて帰ってきた。父親はその弟夫婦のために隣に城を建て、「愛の岩」と名づけた。弟の不誠実に怒った兄は、その城を高い壁で覆わせた。ある日この兄弟が教会で出会った際、争いとなり、剣で戦い始めた。その仲裁に入った乙女に剣が刺さり、兄弟もともに傷つき亡くなった。さらに、父親も驚愕のあまり命が絶えてしまった。([1] から、字句を一部修正して引用)

 「愛の岩」はドイツ語で Liebenstein であり、右側の城のことになる。引用した伝説には「その城を高い壁で覆わせた」とあるが、写真のほぼ中央に見える壁がそれであるとすれば、むしろ左側のシュテルンベルク城址に近く、この表現に合わない。リーベンシュタイン城の方にあった「高い壁」は崩壊したのか、あるいは上記伝説の表現が不正確なのか。

ボッパルトの市街。

 「反目する兄弟」の城から10分ほど航行すると、左岸にボッパルトの市街(Boppard、上の写真)が見える。一対の尖塔は、1236年に建てられた聖セヴェルス教会 (St.-Severus-Kirche)。そして、今度は右岸にマルクスブルク城(Burg Marksburg、下の1枚目の写真)。その下にはブラウバッハの街が広がる(下の2枚目の写真)。マルクスブルク城は、ライン地方の城の中で戦乱による破壊を免れ、中世の面影を残す唯一の遺構であるという。現在、内部のキッチン、大広間、領主たちの寝室、牢獄、武具の展示などを見て回ることができる [2]。下2枚目の写真中、左の方に立つ尖塔は、1276年に建てられた聖バルバラ教会 (St. Barbarakirche)。

マルクスブルク城。

マルクスブルク城とその下のブラウバッハの街。

文献

  1. ヨーロッパ周遊一人旅・ドイツ・ライン川流域:yokoさんの旅行ブログ.

  2. 「マルクスブルク城」, ウィキペディア日本語版 [2009年2月17日 (火) 20:12].

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