2009年5月21日木曜日

『日本語で読むということ』、『日本語で書くということ』(2)

 前報 (1) では、水村美苗の新刊書 [1, 2] のうち、主に [1] についての感想を述べた。今回は [2] への感想を記す。

 [2] には、「I 日本語で書くことへの希望」「II 日本近代文学について」「III アレゴリーとしての文学」の3章があり、16編の著作を集めてある。[1] が軽く読めるのに反し、[2] の各著作は論文調で重い。中でも [2] の第 II 章中の「見合いか恋愛か——夏目漱石『行人』論」(1991) と「『男と男』と『男と女』——藤尾の死」(1992、漱石の『虞美人草』を論じたもの)、そして、第 III 章の 2 編 (ともに 1986) は、格別重い。この重さは、著者が執筆時にまだ若かったため、文に気取りがあることにもよるだろう。その意味で、ここに初出年を書いてみた。ちなみに、水村の小説第一作『續明暗』の単行本としての発行は 1990 年である([1] の「自作再訪——『續明暗』」中に、同書が絶版になった「衝撃」が記されている)。

 [2] の著作が重いというのは、著者の意図を理解するために格段の注意力を要するとともに、場合によっては、理解できないままに読み終えなければならないという意味である。たとえば、「見合いか恋愛か…」の末尾近くで、著者は『行人』の主人公・一郎と日本の近代知識人とのアナロジーについて、「〈自然〉 と 〈法〉 という二項対立にとらわれることこそ、日本の近代知識人の典型であった」としながら、「それだけではない。自分の立っている足もとも見ずに、〈自然〉 や『主体』という観念にとらわれるということこそ、もっとも典型的だったのである」と、二重の提示をしている。また、そこにつけた注において、「実際は一郎は二つの自然にとらわれている。…(以下略)…」と論じ、提示を三重にさえしている。さらに、続く最終パラグラフでは、「しかし、一郎と日本の近代知識人とのアナロジーはここで終わらざるをえない」ということが論じられている。これでは、アナロジーの本質と意義をどう理解すればよいのか、著者の最も主張したかったことは何なのか、読者は戸惑わざるをえない。

 余談であるが、筆者が身をおいて来た自然科学分野においては、繰り返して読まなければ趣旨が把握出来ないような文を含む論文は落第である。チャールズ・パーシー・スノーが「二つの文化」についての講義 [3] をしてから 50 年になる [4]。文学分野と自然科学分野の論文の書き方がもっと接近することが望まれる。

 「『男と男』と…」についても一言するならば、「たとえば藤尾[筆者注:『虞美人草』のヒロイン]の罪を説明しようとする試みは失敗せざるをえない」という文に続く議論は、必ずしも納得できない。作中の説明が論理性を欠くことが、作品の欠陥のように述べられている。しかし、アルベール・カミュは文学作品において不条理そのものを描いた。実社会にも不条理が多く生起する。これを見れば、小説に論理を求めても仕方がないのではないだろうか。漱石自身、この作品は失敗作だといっているとのことではあるが。——科学の方法は論理的でなければならないが、文学作品が論理的でなくてよいということは、スノーが歎いた二つの分野の隔絶には当たらない。彼が指摘したのは、両分野相互間の無理解である。——

 第 III 章の最初の「読むことのアレゴリー」は、ポール・ド・マンの同題名の著作についての評論であり、次の「リナンシエイション(拒絶)」も、同じくポール・ド・マンの文学論全般についての評論である。ド・マン (Paul de Man, 1919−1983) は、水村の評論からもうすうす分かるのだが、インターネット調べてみると、デリダの影響を受け、脱構築批評を確立したイェール学派の代表的存在である [5]。また、彼は水村のイェール大学大学院修士課程での恩師で、彼が死去したのは水村の在学中だったようである。彼女は彼の死後間もなく、「リナンシエイション(拒絶)」のもとになった英文の論文を書いている。したがって、これは彼女の著作の中で最も若いときのものであり、文章のいたるところに才気が感じられはするものの、筆者としては「もっと分かりやすい文で書いてはどうだろう」と思わずにいられない。

 以上、いささか手厳しい感想になったが、全体としては、一読していろいろ考えさせられるよい本だと思う。(完)

文献
  1. 水村美苗, 日本語で読むということ (筑摩書房, 2009).
  2. 水村美苗, 日本語で書くということ (筑摩書房, 2009).
  3. C. P. Snow, Two Cultures and A Second Look (Cambridge University Press, Cambridge, Part I first published 1959, Part II added 1964).
  4. Doing good, 50 years on (Edtorial), Nature Vol. 459, p. 10 (2009).
  5. 「ポール・ド・マン」, ウィキペディア日本語版 [2009年2月9日 (月) 18:58].

2 件のコメント:

  1. 私は研究者として論文を書いたことはありませんが、学部生の頃には、一つの論文の中で異なる論が重複する、あるいは論が収束できないようなものは書くなと教わりました。
    実際水村さんの本を読んでいないので何ともいえませんが、分野を問わず、繰り返し読まなければ、あるいは読んだとしても理解するのが困難な論文は良いとはいえないのではないかと思います。
    ちなみに私が悩んだのはある作品について持論を書くとき「その論拠はどこから由来するのか」と問われ、それに誠実に答えているつもりなのに、どうも論拠が揺らぐということについてでした。

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  2.  Suzu-pon さんは学部で論文作成のよい指導を受けましたね。私の出身学科では、卒論の書き方について特に教わることはありませんでした。修士課程でようやく先生や先輩の専門誌への投稿論文にふれたり、専門誌の論文の輪講をしたりする中で、書き方を自然に学び始めたのでした。

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