M.Y. 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2009年5月分への感想を6月15日づけで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。
× × ×
1.『日本語で読むということ』、『日本語で書くというと』(1)、同 (2)
水村美苗と夏目漱石の愛読者である筆者の上記著作に関する感想は興味深いものでした。『日本語で読むということ』については、
水村の作品や随筆を読んでいると、彼女自身の体験、特に中学生時代に家族と渡米して学校や友人たちになじめず、下校後は家で日本文学に読み耽っていたという体験がしばしば登場する。それで、彼女の生い立ちが手に取るように分かり、頭のよい知人の女性の話を聞くかのような思いでページを繰ることが出来る。…(中略)…「作家を知るということ」と「『個』の死と、『種』の絶滅——加藤周一を悼んで」は、どちらも評論家・加藤周一への賛辞である。彼の評論を好み、彼を尊敬して来た私にとっては嬉しい文章である。
と快調に読み進めています。
『日本語で書くというと』については、著者の意図を理解するため格段の注意力を要するとともに、場合によっては、理解できないままに読み終えなければならないという重さがあるとして、「筆者が身をおいて来た自然科学分野においては、繰り返して読まなければ趣旨が把握出来ないような論文は落第である」といい、チャールズ・P・スノーの「二つの文化」についての講演に触れ、文学分野と自然科学分野の論文の書き方がもっと接近することを望んでいます。
同書第 II 章中の「『男と男』と『男と女』——藤尾の死」については、次のように述べています。
作中の説明が論理性を欠くことが、作品の欠陥のように述べられている。しかし、アルベール・カミュは文学作品において不条理そのものを描いた。…(中略)…科学の方法は論理的でなければならないが、文学作品が論理的でなくてよいということは、スノーが歎いた二つの分野の隔絶には当たらない。彼が指摘したのは、両分野相互間の無理解である。
同書第 III 章のポ-ル・ド・マンについての評論については、彼が水村のイェール大学在学中の恩師であることをインターネトで調べています。また、彼の文学論全般の評論「リナンシエイション」のもとになった英文の論文は、彼女の最も若いときの著作であって、文章のいたるところに才気が感じられはするものの、「もっと分かりやすい文で書いてはどうか」と思わずにはいられない、など、厳しくはありますが建設的な批評をしています。愛読者の意見として著者の目に留まれば、と思います。
2.「やけくその救済策」:パウリのニュートリノ説 (1)、同 (2)
「湯川秀樹を研究する市民の会」(湯川会)での、湯川のノーベル賞論文の翻訳結果はシンポジュウム報告集にまとめられました(2008年9月発行)。現在、解説、注釈、その他学んだことを整理してまとめ、本として出版しようという計画が進められています。整理する注釈の一つに、パウリがニュートリノを、その存在を提唱した手紙の中で、"desperate remedy"(やけくその救済案)と呼んだという話題があります。このことは、朝永の『スピンはめぐる』に書かれており、同書の英訳版から、イェンゼンのノーベル受賞講演に引用した手紙のその部分のドイツ語は "ein verzeifelter Ausweg"(すてばちの逃げ道)となっていることまで分かっていました。
パウリは、原子核のベータ崩壊によって出て来る電子のエネルギ-分布が、エネルギー保存則を破っているように思われたことから、これを救うために、エネルギーを持ち逃げしているはずの未発見の粒子の存在を、あえて論文にすることなく、上記の手紙によって1930年に提案しました。筆者は「やけくその救済案」は名訳なので、てっきり朝永の訳だと思っていましたが、湯川会会員間のメール交換によって、『スピンはめぐる』の日本語原書には "desperate remedy" という英語のまま記されていたので、それを紹介した会員が直訳を付記していたことが分かりました。
さらにメール交換して、パウリの著書『物理と認識』中の「ニュートリノの新しい話、古い話」の項に手紙の全文が引用されていること知りました。そこで、「やけくその救済案」に相当する言葉が出て来る最も古い文献を知るため、『物理と認識』の原書をインターネットで探して、それを見つけました。前述のイェンゼンの講演より古く、一応目的を達成しました。『物理と認識』原書中の、公開書簡掲載のページナンバーまでは分からなかったというとでした。意味ある古い事実の確認の苦労、湯川会会員間の連携の様子や、パウリのニュートリノ説を取り巻く当時の核物理学界の状況など興味深く拝読しました。
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