2009年6月6日土曜日

映画『天使と悪魔』

 昨6月5日、ロン・ハワード監督の映画『天使と悪魔』(Angels & Demons) を見た。原作はダン・ブラウンの同名小説 [1] で、同じ作者による小説『ダ・ヴィンチ・コード』[2] を映画化した2006年作品の姉妹編である。私は『ダ・ヴィンチ・コード』を見なかったが、主人公のハーバード大学・宗教象徴学者ロバート・ラングドンと、それを演じるトム・ハンクスも前作品と同じだそうだ。

 冒頭にまず欧州原子核研究機構(CERN)の場面が登場する。私はCERNに匹敵するアメリカのフェルミ国立加速器研究所を見学したことがあり、また何よりも、私の研究歴の前半では、規模はCERNのものの百万分の一程度ながら、加速器を使っていたので、懐かしい気のする場面である。ヒロインの女性科学者ヴィットリア・ヴェトラ(扮するのはアイェレット・ゾラー)がCERNの加速器で反物質を製造するが、その1ケースが何者かに盗まれる。司祭兼CERNの科学者で、ヴィットリアの父でもあるレオナルド・ヴェトラを、犯人は殺害し、その眼球を加速器室へ入るための人物同定装置を通過する目的に使っている。レオナルドの胸にガリレオ・ガリレイ時代の秘密結社名 "Illuminati" が烙印されていたことから、ラングドンが捜査への協力を依頼される。…

 現実にはCERNで10個程度の反水素原子は作られているが、この映画で爆発が恐れられているほどの量の反物質はとても作れない。仮に危険な量の反物質が作れたとすれば、終わり近くの場面はいささか不自然ではないかと思われる(その詳細を書けば、筋の一部を明かすことになるので、書かないでおく)。ヴィットリアは、「反物質は "God particle" (神の粒子)とも呼ぶ」という説明をしているが、本当は、 "God particle" とは反物質や反粒子のことでなく、CERNで間もなく見つかるだろうと期待されているヒッグス粒子のあだ名である。また、日本語字幕で登場人物の一人をいうのに「カメルレンゴ」の語が出て来て、固有名詞のような感じを与えるが、これは枢機卿(すうきけい)という訳語のある普通名詞(教皇に次ぐ高位聖職者の称号)である。

 これらの難点はともかく、科学と宗教の対立を描いたように宣伝されているこの映画の最後に、両者の和解が見られるのはよいことである。私は、両者は対立するものでなく、目的を異にしていて、互いに協力し合うべきものと思うからである。場面として使われているローマのいろいろな名所からは、イタリア旅行の記憶が呼び覚まされた。さらに、危機がせまる場面では、思わず身を乗り出さんばかりにしながら、楽しく鑑賞した。「土」「空気」「火」「水」の英単語のアンビグラム(対称形デザイン)が登場する。その細部までは映画では分からないが、チラシに印刷してあるのを見ると、よく考えたものと感心する。

 なお、先日の朝日紙の記事 [3] に、CERNがこの映画の作成に協力した裏話が紹介されていた。CERNは、映画と実相の違いを非難するか、無視するか、これを逆手にとって研究の真の姿を伝える好機にするか、の三つの選択肢の中から、三つめをとった、ということである。その記事の著者は、それを一方的なPRで終わらせないで、専門外の人びととの対話につないでほしい旨を述べている。ついでに、『天使と悪魔』に関するウエブサイト [4, 5] を紹介しておこう。[4] の著者は東大教授で、CERNの反物質研究グループのリーダーであり、先般、CERNにおける反物質研究の業績によって第62回中日文化賞受賞者に選ばれている。[5] はCERNが提供している解説である。これらのサイトも、専門家と専門外の人びとの対話のきっかけとして役立つであろう。

 [追記]『天使と悪魔』の科学的背景についての講義(英語)のビデオを集めてあるサイトもある [6]。

文献

  1. Dan Brown, Angels and Demons, Paperback edition (Simon &Shuster, 2006).
  2. Dan Brown, The Da Vinci Code, Paperback edition (Anchor, 2006).
  3. 尾関章,「天使と悪魔」: 科学の対話を娯楽映画から, 朝日新聞 (2009年6月4日).
  4. 早野龍五, 物理学者とともに読む「天使と悪魔」の虚と実 50のポイント.
  5. European Organization for Nuclear Research, Angels & Demons: The Science behind the Story.
  6. Virtual Lectures, Angels & Demons Lecture Nights: The Science Revealed.

0 件のコメント: