1952 年 3 月 8 日(土)雨
(Ted)
ヨセンカイとは何だろうと思っていたら、予餞会。といっても、この疑問が解けたのは、きょうではない。きょう、これが行われたのだ。芸術? [1]
『新樹』が発行される。誤字が多い。"Lt is imperquect. But . . ." だって。A・U 君の文章は、うま過ぎるように思えてならない。「目はばらだった」というのは、国語甲の時間に、新感覚派の表現の例として聞かされた文だ。構成と理論ががっちりしている。FJ 君の小説もみごとだ。どうしてこんなものが書けたのだろう。[2]
『週刊朝日』3 月 16 日号に、先週 S・T 先生に聞いた話が載っている。
夢声:これは漱石の話ですがね。教室でふところ手をしている生徒がいるんで、漱石が怒った。「お前、ひとが講義しているのに失礼じゃないか」「先生、ぼく片手ないんです」これにゃ参ったけれども即座に「おれだって、ない知恵をしぼって講義してる。お前もない手を出してきいたらいいじゃないか」これは本洒落ですな。「読者と編集者」欄に「新カナづかいに一言」として、前号の夢声の発言についてぼくが 3 月 1 日に書いたのと同じ意見が載っている。
(Sam)
九時からというのが二十分遅れて始まった。一年の執行委員は正面玄関で卒業祝いの記念品を贈るための仕事をしていたので、始めの方は見られなかった。午前中の出し物の中では、馬術部のトンチンカン音楽が最も面白かった。
昼食時に CIE と体協から借りてきた映画をする。題名は「美しきアメリカ」「空の威力」「ヘルシンキへの道」。「美しきアメリカ」は、ひじょうに断片的なものだった。その他は、よく見ていられなかったから、分からない。
演劇部の「早春」は動作より言葉の方が主な劇だったが、声がよく通っていなかったので、大して成功だとは思われなかった。舞台装置はなかなか大がかりなものだった。「私は誰でしょう」で問題が余り、会場から解答者を求められた時、ぼくがすたすたと出ていき、第二ヒントで「リンゴに関係があるんだ」と二回繰り返したあと、「ウイリアム・テル!」と答え、一箱二十円のキャラメルを二箱貰っちゃった。
他にも面白いものがあったが、それはプログラムを見て貰うことにしよう。その時、話すことがあったら話す。今夜は書こうとすることがぜんぜんまとまらない。
予定の時間より大分遅れて、六時にやっと全部終った。後始末をして帰ったら九時だった。
引用時の注
- 予餞会で、1 年生の NS さんが「カルメン」をあまりにもアクロバチックに、また妖艶に踊ったことについて、「芸術?」としか書けなかったようである。これだけでは何のことだったか思い出せなかったが、翌 9 日の日記がヒントとなった。
- A・U 君も FJ 君も新聞部の 2 年生。