湯川秀樹の半生の自伝『旅人』には代筆者(あるいは協力者)がいたということを、私は先日まで知らなかった。角川文庫版の同書 (1960) の「あと書き」には、澤野久雄が朝日新聞社員として協力したことが記され、感謝されているという [1]。しかし、私が読んだのは、朝日新聞に連載されたものと、『湯川秀樹自選集5』(1971) に収められたものであり、それらには「あと書き」はなかった。最近になって代筆者のことを知ったのは、フリー百科事典『ウィキペディア』の「湯川秀樹」のページ [2] によってである。同ページの「関連項目」中に、次の記述がある。
澤野久雄 - 湯川の自伝『旅人』の代筆者。その内容を巡って湯川夫妻と対立し、1967年にモデル小説『山頂の椅子』を書いて湯川を激怒させた。
そこで、同事典の「澤野久雄」のページ [3] を見ると、次のように書かれていた。
・湯川秀樹夫妻との確執
澤野は朝日新聞社学芸部の記者を務めていた頃、湯川秀樹の自伝『旅人』を同紙に代筆連載したことがある。このとき、少年時代の秀樹を神童として描くか否かを巡って湯川夫妻と澤野の間に激しい対立が発生した。……(中略)…… このとき夫妻に対して鬱屈するものを感じた澤野は、10年の沈黙の後、1967年4月に『山頂の椅子』を『新潮』に発表した。……(以下略)……
『山頂の椅子』は『新潮』に発表されたのと同じ1967年の8月に単行本 [4] として発行された。私はその本が発行されて間もなく、京大の近くの書店で手に取ってみた記憶がある。しかし、当時のマスメディアには「湯川博士がモデルととれる物理学者の主人公は、妻の尻に敷かれている人物として描かれている」というような評があったので、そういう本は読みたくないと思い、買わないで書棚に戻したのだった。いまとなっては、どういう描きかたであれ、湯川をモデルにした著作であれば読んでおけばよかったと思う。
書店で『山頂の椅子』を手に取ってみたのは、学生時代のことだったかと思っていたのだが、1967年の出版と知って、それは、就職後の研究を学位論文にまとめて提出したあと、公聴会で論文内容の説明をした日だったと思い出した。真夏の暑い日のことだった。(つづく)
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