『山頂の椅子』の著者、澤野久雄について記した『ウィキペディア』のページの「湯川秀樹夫妻との確執」の項には、二つの文献 [1, 2] が引用してある。しかし、湯川会のM氏がこれらの文献にあたってみたところ、『山頂の椅子』が雑誌『新潮』に掲載された直後の記事 [1] からの引用はなく、すべて [2] からの引用だそうだ。M氏は [1] の掲載誌を古書店で入手したとのことで、そのコピーを送って貰った。[1] の冒頭に記されている『山頂の椅子』への湯川のコメントは次の通りである。
「ぼくは読んでないんだよ。だけど家内は読んだらしく、知り合いからもいろいろいわれてね。その話やと、ひどいことになているらしいね。
そりゃ、小説家はフィクション考えられるのが仕事やから、仕方ないと思ってますよ。しかし世間じゃどうも、あの小説は、ぼくがモデルだと思われているらしいし……とにかく大いに迷惑やな」
記事の終わりのほうにも湯川のコメントが記されている。「小説家は違う世界の人間やと思っている」「世間の人が、あの小説を読んだからといって、[ぼくを]軽蔑することはないやろ」との感想のあと、スミ夫人もモデルにされているととれることへの質問に対して、次のように述べている。
「あの小説は、ぼくより家内のほうがひどく書かれているらしいね。だけど、ぼくらは、たいへん仲よくしていますよ。ただ、ぼくのことは割合知られているが、家内のことは比較的知られていないから気の毒や思う。小説の家内と実際の家内は非常に違う。とにかく、大いに迷惑やけど、忘れるよりしょうがないね」
以上の発言を見る限り、『ウィキペディア』にある「湯川を激怒させた」との表現はあてはまらないように思われる。[1] は「スミ夫人はきわめて冷静である」として、夫人の感想も次の通り伝えている。
「ある方から『雑誌にでているから』といわれまして読んだんですよ。ウチのこととはあまりに違いますから、別にどうということはございません。
秀樹さんの成績のことでも、澤野さんはよくなかったといわれたんですが、調べたら成績はよかったわけですし*……。とにかく、全然違うんですよ。ノーベル賞になったのだって、アメリカに五年間いたときのことですから**、私たち問題にしておりませんのですよ」
引用者注:
* 澤野が『旅人』の執筆協力をしていたときの、湯川夫妻との意見の相違を指す。これに似た記述が『山頂の椅子』にもある。
** 『山頂の椅子』の主人公がZ賞受賞を知らされるのは、京都の大学においてとなっており、在米中にノーベル賞受賞を知らされた湯川の場合と異なることを指す。
このように、湯川夫妻は、小説は事実とは異なるという意味の、当然の受け止め方をした上で、湯川自身は「大いに迷惑」という言葉を繰り返している。これならば、私の『山頂の椅子』読後感とあまり異なってはいなくて、うなずけるのである。[1] の最後には、作者・澤野の弁が記されている。
「書き出しの短いセンテンス、あれが作品のテーマの要約です。ぼくは、ああいう特殊な立場に置かれた——決して自ら欲してでなく——突然置かれた人間を書きたかった。その人間がどう変っていくか、というプロセスに興味をもった。
……(中略)……
ぼくの書きたかったことは、繰り返しますが、すぐれた人間が特定の場所に置かれたことによって、だんだん孤独になっていく、その過程の悲しさです。だから、主人公に愛情と同情をもっているんだな。湯川さんのことをいえば、湯川さんは天堂のような人では全くない——」
主人公・天堂と湯川が作者自身のいう通り全く異なるのであれば、天堂に対して、湯川に似た環境設定をする必要はむしろなかったのである。それにもかかわらず、そういう設定をしたことによって、作者の意図が歪めて受け止められさえすることになったといえよう。[1] には、当時の朝日新聞の文芸時評欄に大岡昇平が、「現代文学の中の実話的傾向を示す作品である。……(中略)…… 読者の興味はどうしても実在の著名な人物に赴かざるを得ない。そういう興味に繋がって読ませる小説である」と記したことが報じられている。澤野の意図が「書き出しの短いセンテンス」で言い尽くされているとすれば、それを効果的に表現するための環境設定において、彼は安易過ぎる手法を選んだのであり、その結果、湯川に「大いに迷惑」といわせることになった、と私は言いたい。
なおM氏は、文献 [2] の本を図書館で見たが、全文は10数ページもあり、記事の内容も大したものでないと判断して、コピーしなかったそうである。それでも私は、自分の目で見ておきたいと思い、堺市立図書館へ借り出しの予約をした。それが届けば、この続きを書くことになるかも知れないが、ここでひとまず筆をおく。
文献
- 「小説『山頂の椅子』と湯川博士の憂鬱」,『サンデー毎日』1967年4月16日号, p. 22–25.
- 本田靖春,『現代家系論』p. 105–106 (文藝春秋社, 1973).
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