2009年12月12日土曜日

ライン河、マイン河の船旅(14) (Cruise on the Rhine and Main 14)

 旅の6日目の11月22日午前、ディンケルスビュールに続いてローテンブルク (Rothenburg ob der Tauber) を観光した。城壁に囲まれたこの街には次の話が伝わる。

 1631年10月にカトリックのティリー伯ヨハン・セルクラエスが、プロテスタントのルター派のローテンブルクに4万人の軍隊の宿営を求めた。街はこれを拒否し、籠城して守り抜こうとした。しかし、ティリー伯の軍隊は300人の兵を失っただけで、間もなくローテンブルクを陥落させた。ティリー伯は、参事会員らの罪を断じ、街を焼き払うと宣言した。参事らは困惑しながら、歓迎のワインを供した。それは3.25リットルのガラスコップに注がれていた。ティリー伯は、誰かこれを一気に飲み干す者があれば、街に危害を加えるのを中止しようといった。老市長ヌッシュが進み出て、一気にコップを空にして皆を驚かせた。ティリー伯は、これに感銘を受け、街に手出しするのを止めたという。これは、現在も毎年開催される街の祝祭劇『マイスタートゥルンク』の筋であるが、実際には、ティリー伯自身がこの街に足を踏み入れたという記録はないという [1]。

ローテンブルクのジーバー塔とその付近の街並み。

見事に保存されたローテンブルク旧市街の中世の街並み、プレーンライン (Plönlein)。左端の女性は現地ガイドのイトーさん。

 シュピタール門 (Spitalbastel) の近くから城壁内へ入ると、石畳の美しい街が広がる(上の2枚の写真)。上記の話のヌッシュ市長の家だった Roter Hahn(下の1枚目の写真)で、ロールキャベツの昼食をした。その向いには、中世犯罪博物館 (Mittelalterliches Kriminalmuseum) という不気味な建物があった(下の2枚目の写真)。拷問、処刑の様子や道具が展示されていて、法制史に関する書類の重要なコレクションがあるという [1]。

昼食をしたレストラン Roter Hahn。かつてのヌッシュ市長の家。

中世犯罪博物館。

文献

  1. 「ローテンブルク・オプ・デア・タウバー」, ウィキペディア日本語版 [009年10月27日 (火) 14:22].

2 件のコメント:

  1. どことなくスウェーデンの街並みにも似ているような気がして急に懐かしくなりました。
    石畳の道をゆっくり歩きながら街を回るのは、京都の神社やお寺の砂利を踏みしめるのとはまた違った情緒がありますよね。

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  2.  石畳の道は砂利道よりも歩きやすいですが、少し前まで使っていたウォーキング用の靴が足によく合っていなかったので、革靴のほかにデッキシューズを持参しました。好天気の日に使ったデッキシューズでは快調に歩けましたが、雨の心配のある日には革靴で出かけたので、いささか歩き難い思いをしました。

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