旅の8日目の11月24日の午前、ハイデルベルクではアルト橋に次いで、かつての学生牢 (Studentenkarzer) や、大学図書館 (Universitätsbibliotek) などの建物の前で説明を聞いた。学生牢は1778年から1914年まで、悪事を働いた学生たちが入れられたところで、窓には鉄格子がついている。現在は学生博物館 (Studentenmuseum) の一部になっている。
ハイデルベルクの学生向け喫茶店、
その名もしゃれた "Coffee & Kiss"。
市内レストランでの昼食まで、しばらく自由時間があった。学生の多い街なので、学生向けの店がいろいろある。上の写真もその一つである。小雨模様だったため、ハイデルベルクで撮った写真は少ない。下の写真も自由時間に撮ったものだが、場所が同定出来ない。
ハイデルベルクの旧市街で。
昼食のあとは、約1時間30分の古城街道ドライブということで、バスの中からの観光であった。このときには写真を全く撮っていない。添乗員さんたちによる「旅日記」には、「ネッカーシュタイナハの4つのお城(前の城、中の城、後の城、つばめの巣城)やヒルシュホルン城などを車窓からご覧いただきました」とあるが、どういう姿の城だったか、記憶に残っていない。このことから、少なくともいまの私の場合、写真が大いに記憶の助けになっていることが分かる。ただし、翌日の「ライン河古城クルーズ」で多くの城を見たので、バスの窓越しに見た城については印象が薄くなったということもあるかも知れない。参考までに、ネッカーシュタイナハ (Neckarsteinach) の4つの城については [1] に、ヒルシュホルン城 (Burg Hirschhorn) については [2] に記述があることを記しておく。
マインツに停泊中のセレナーデ II 号。
1階のかなりの部分は水面下にあって、見えない。
写真下部の幾つかの白い斑点は、雨滴によるもの。
私たちが観光している間に、船はフランクフルトからマインツへ移動していた。マイン河はここでライン河に注いでおり、このあとはライン河を下ることになる。ここまでは船が低い橋桁の下をくぐる必要があって、最上階「サンデッキ」の周囲の柵などはすべて倒すか取り外すかしてあったが、ここでそれらが立ち上げられ、最上階へ登ることが可能になる。そこで、その姿の船を撮影したのが、上の写真である。
船は、私たちの帰船後の17時30分にマインツを出港し、リューデスハイムへ向かった。同時に船内の3階ラウンジで、リューデスハイムのワインの宣伝を兼ねて、「ドイツワイン講座」が開催された。私たちも参加して、極甘口の貴腐ワインなどを一口ずつ試飲した。夕食中の19時に船はリューデスハイムへ入港し、希望者は20時からワイン居酒屋へ実費で案内して貰えるということだったが、それほどのアルコール好きでもない私たちは遠慮した。
文献
「ネッカーシュタイナハ」, ウィキペディア日本語版 [2009年10月18日 (日) 15:00].
「ヒルシュホルン (ネッカー)」, ウィキペディア日本語版 [2009年10月18日 (日) 14:54].
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