2005年7月14日木曜日

ヴェスヴィオ山:その2(写真)/ 特別な気持で拍手



ナポリで宿泊したホテル、サンタルチア(左手前)の近くから
ヴェスヴィオ山を望む。2003年5月13日撮影。

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年10月2日(木)晴れ

 音楽・演劇会。番組と番組の間(幕間と書きたいが、実際に幕が閉じたのは、午前と午後の一度ずつしかなかった)が長くて、退屈した。また、そのたびに聞かされた「女学生」の曲にも聞き飽きた。しかし、内村直也作の「跫音」、菊池寛作の「父帰る」をそれぞれ演じた放文研委と演劇クラブは、面白い演技を見せてくれた。「跫音」の終り近くで、手紙を持ってくる男の、むやみに長く続く足音と、玄関へ彼が入ってくるときの悠長さと、重夫の母がその男を帰って来たわが子だと思い込む場面には、幻想的な感じがあったが、原作もそうなのだろうか。
 「父帰る」で、兄の賢一郎を演じた1年生の MU 君は、毅然とした、しかも最後には父に対して肉親の愛情を抱くことの出来た、役の性格をよく表現していた。NW 君の、父・宗太郎の演技も、いつもながら巧みだった。午前にあった飛び入りの I・S 先生の尺八は、長い前置きと単調な音とで、われわれの期待に背いたばかりでなく、われわれを倦ませるものだった。
 「帰れソレントへ」「さらばナポリよ」…。彼女の母がぼくの家へ来て母に話す彼女の生活ぶりから、なぜか、ぼくが「夏空に輝く星」の中に作りだした女主人公の歌を歌っている場面を思い出させることのある幼友だち・NKさん(1年生) [1] のソプラノ独唱には、特別な気持で拍手を送った。

(Sam)

1952年10月2日(木)晴れ、3日(金)曇り

 あと十日間ばかりしかないので、プログラムの作成におおわらわである。各部との連絡交渉や、外部団体との折衝など、なかなかである。だが、今度は三年生の SM 君が中心になってやってくれるので、責任の方は大分軽い。毎日暗くなってから帰る。


 引用時の注

  1. ここに書いてあることとは逆に、NK さんをモデルの一部に取り入れて、女主人公の歌を歌っている場面を書いたのではなかったか。少なくとも、最近はそう思っていた。しかし、ここに書いてあることは正しく、歌を歌っている場面のモデルは、先にわが校のアセンブリーに招かれた歌手だった。その歌手もイタリア民謡を歌った。私は、小学校3年の途中まで住んだ七尾市で、NK さんと近所同士だった。彼女は後に、彼女と同期のしっかりした男性、OZ 君と結婚した。


 [以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 07/14/2005
 この頃、まだ文化祭という呼称に定着していなかったのですネ。内村直也、菊池寛と懐かしい名前が並びました。記憶違いでなければ、内村直也は英米文学の著名な翻訳者菅原卓の弟さんで、彼自身も戯曲の翻訳、劇作やシナリオなど多岐に活躍しているのですが、ググってみても残念ながら兄弟関係は確認できませんでした。意外なことに、「雪の降る町を」の作詞家でもあったとは、思いもよりませんでした。

Ted 07/14/2005
 あるウェブ・ページ(後日の注:リンクを貼っていたが、その後リンク切れとなった)によれば、「雪の降る町を」は、「昭和28年2月のラジオ歌謡と言われているが、実は、その前年、27年初めの連続放送劇 "えり子と共に" の挿入歌である。時間合わせで1番だけが急遽作られたが、放送後、反響が強く、高英男のうたで2番・3番も追加された」そうです。私は、この日記の翌年に当たる昭和28年のラジオ歌謡で親しんだと思います。私にとって、受験勉強に取り組んでいた冬が思い出されて懐かしい歌であるとともに、最も好きな日本の歌の一つです。いずれ高校時代の日記に出てくるかも知れません。

0 件のコメント:

コメントを投稿