等乃伎神社
写真は、昨日のブログにも書いた、わが家から西へ向かうウォーキングをする場合の目的地である高石市の等乃伎神社(6月28日に写す)。この辺りの町名は富木と書いて、神社の名と同じく「とのき」と読む。
ダラ! 明日休みや!
高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年9月22日(月)晴れ時どき雨
あゝ、駄目だ。「話の泉」の中の、何という漢字が最も多く使われているか、という出題への答が問題とした定期刊行物 [1]、ぼくはそれを… [2] ――こんなのは、まずい弁解だ。SN 君の家からの帰りに野田で乗ったバスの運転手がわれわれに話したことを思い出す。彼は社会の矛盾をわれわれに話そうとした。そして、彼自身がその真っただ中にいるのだった。彼は愉快そうに話したが、「ぼくなんかも意志が弱かったから、こんなことになっているのだ」とつけ加えた。――社会の矛盾と個人の矛盾の関わり…。個人の矛盾は外力による意志の歪みに発する。外力は、つねに隙を見てわれわれの意志をだらしなく延ばさせ、意気地なく縮ませ、正邪の判断なく捩じらせ、堅実さなく曲げさせ、あるいは確固たるところなくひしゃげさせようとしている。――こうした考察は十二分だ。ただ必要なのは…。
v は h によって与えられている。h が h0 から h1 になると、v が v0 から v1 になるが、v が変化すると、h の変化の様子も変わって来る。不思議な関数だ。*
校歌がついに歌われる! 昼食時間に音楽室へ呼ばれて、あたかも自分が真っ先に見ようと思ったものが、すでに誰かの見た後だったときに味わうような感じを経験した。合唱クラブ員の力強い合唱だ。黒板に書かれた歌詞だけを見て歌っている。TK 先生も SG 先生も IT 先生も、その他多くの先生方も聴いておられた。「トップ記事、トップ記事。しかし、誰がどのように書くか」と思いながら、ぼう然と聞いていた。聞くというより、ただ、旋律と音律と調和のある声の中にたたずんでいた。どんな歌詞だったか覚えていない。
(欄外注記)* 物理のプリントにあった問題に関することだが、この問題は積分を使わなければ解けないのだそうだ。
(Sam)
「明日は簿記練習帳を持って来て下さい。」「明日までに生徒会費を納入して下さい。」「明日この続きをやろう。」「明日英語あるかいや?」こういう言葉が繰り返され、そのたびに笑った。「ダラ![3] 明日休みや!」といって。
3年生の何かのため、H が六限になった。今学期の H は遊んでばかりいる。ホーム委員長は野球部員なので、運動が大好き。何かと理由をつけてバレーボールやバスケットボールを使用して遊ぶことになる。ロングホームの使用について、もっと真剣に考えられてもよいのではないかと思うが、一般ピープルが現状に大満足なのだから、しょうがない。
引用時の注
新聞。
ここで10行余りを消してある。消した上に後日(10月4日と記して)学校新聞の校正刷りの訪問記事「門をたたく」の一部を斜めに切って貼ってある。もと日展審査員・都賀田勇馬氏を捕まえ損ね、仕方なく高校の近くの少年鑑別所の所長を訪問したのだったが、意外に興味深い話を聞くことが出来たようだ。「ここでは、どんな仕事をなさっていますか」の問いに対して、「ここを少年刑務所のように思っている人が多いようだが、犯罪者を入れておく刑務所とは全く違うのだ。少年法によって家庭裁判所から送られた少年を審判するまでの間、その期間中一時収容して監護する。そして、医学、心理学、教育学、社会学、その他の専門的な知識で、それらの…」という答の文字が見える。
「ダラ」は金沢弁でバカのこと。翌日は秋分の日で休み。
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