2005年7月7日木曜日

サフランモドキ / 病は気から


サフランモドキ

 写真はわが家の庭に咲いたサフランモドキの花。この植物は、花が咲くときに、葉がない。周囲に見えるのはサクラソウなど、別の草花の葉である。(2005年7月6日撮影。)

病は気から

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年9月25日(木)晴れ

 現象的には些細だが、精神的には、また、そのことの意味上の見地からは、ルソオが一少女を誣告したにも等しい罪。人間は、自分が完全に道徳的に立て掛けた純理の梯子の上を、一歩も踏み外すことなく歩んで行くことの出来ない動物であると決められているはずはないのだが……。

 祖父の葉書を投函に行っての帰り、実際の自分よりも好ましい形を描いて前方に延びている影に従って歩きながら、前編集長 FJ 君のところへ相談に行こうかと思った。影は体重がまだ50 kg に達していないことを思い出させた。あと1週間と2日ということも考えた。――混沌としている。

 「ビールの泡のような」という表現は、たしか、昨年の夏休み頃に Jack の心境を表現する言葉として、われわれのノートに書いたが、『こころ』の中にそのまま発見して驚いた。しかし、そこでは(ちょうど酒場の場面だ)気炎のの上がるさまを形容したものであり、ぼくが使ったのは、どうかすれば壊れてしまいそうな、浮き浮きした、しかも壊れたときには、なにか鼻の奥辺りをつーんと刺激するものを与えるような感情を形容したつもりだ。「数分間が数時間」というのも、あるいは先にどこかで読むか聞くかして潜在意識にあったものかも知れないが、通信帳を作る以前の君への葉書に書いた表現だった。それが、キティーのお産の場面でのレーヴィンの感じとして、そっくり同じ言葉でトルストイが使っていたから、びっくりした。

(Sam)

 S・H に一枚の紙を貰ったら、一日中気分がすぐれなかった。恐ろしいことだ。「病は気から。」実にその通りだ。つらつら考えて見るに、もしも、この状態になったのだとすれば、五月以降でなければならない、そうすれば、その間のぼくの仕事の荷重が大き過ぎたのだろうか。

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