2005年7月20日水曜日

中の池公園で(写真)/ このレッスンのエースは誰かね



 中の池公園は名の通り、池を中心に遊歩道がある小さい公園である。ピンクの花の咲くハスはコンクリート製の円筒型育成筒に植えられて、2ヵ所にある。他に白いハスやガマ、ハナショウブなどの育成筒もある。ハスの花もそろそろ終りに近づいたようだ。向かって右側の花の、画面右やや上の水中に見える黒い点は、カメが頭を出して泳いでいたのである。(2005年7月17日撮影)。

このレッスンのエースは誰かね

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年10月10日(金)晴れ

 昼食後、講堂で明日の野球の応援の練習がある。声と身振りで800余名を巧みに操ることの出来る数名の3年生が、代わる代わる卓球台に上って二拍子や三三七拍子や「フレーフレー菫台」をやった。「汽車の旅」をやろうとして台に上がり、その長い顔の中で、途方もなく大きく口を開けて一声叫んでから、両手の扇子を交互に動かした NG 君は、再三やり直したが、うまく調子が取れなくて、断念しなければならなかった。彼の代わりに頼まれて登壇したのは豪快な胆の持ち主である NS 君だった。彼は見事に調子を取って、「ストップ」の後の三つの拍手を綺麗に揃えさせたばかりでなく、彼自身の指導力に対する賞賛の拍手をも巻き起こすことが出来た。

 放課後の編集室へ KD 君(金大医学部へ進学)が来て、先日発行した刊行物を見、感じのよい能弁でしゃべりなどして行く。OS 君がいつも寒そうに隅の方に立っていて、IN 君が何にでもわずかの驚きを含ませたような声で相対し、F・NK 女史が灰色のオーバーのポケットに手を突っ込んで微笑んでいて、長身の YS 君が高い鼻の下にある口から分別のある言葉を発し、そして額の大きな KD 君が早口に何かをしゃべっている [1] ――こんなのが2月頃の編集室だったが、いまはどうだろう。もうしばらくすると、どうなるだろう。

   菫台高校校歌から         紫錦台中校歌から
   (1行ずつ抜粋、          (左に同じ)
    対応の関係で
    重複もある)       

  星に久遠のあり         金色(きん)のに天(あめ)
                    なるや
  あゝ若人の夢はるか        青き山なみ遥かなる
  崇き希望(のぞみ)に集い来し   希望の光身に浴びて
  真理の淵を究めなむ        真理と正義の二すじを
  あゝ人の夢はるか        草映ゆる黎明の
  浄(きよ)らに毅き啓示あり    心清らに手をとりて
  さやけく明けよ美(うま)し   平和のの礎と
  溢るる情熱(こころ)一筋に    清らに手をとりて

 二つの校歌において同じ単語のある行を対置してみた。共通の語句がこれだけあるばかりか、両校歌はともに「む」という意志を表す助動詞で終っている。

 解析の教科書はつねに1週間分ほど予習してあるのだが、いまは非常に切迫した状態だ。そこへもってきて、いままでになかった事態が生じた。復&研の問題と、その前にある少しの問題を1人に1題ずつ割り当てられ、黒板のところで解かされるのだ。復&研の8を割り当てるとき、K・B 先生は、「これはちょっとうるさい問題だね。このレッスンのエースは誰かね」といって、それをぼくに当てられた。

 引用時の注

  1. いずれも3月に卒業した新聞部の先輩である。

 [以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 07/20/2005 15:19
 七五調の歌詞はもちろんですが、詩句においても定型の句がかほどに重なっているのですね。
 私たちの頃にはさすがに民主化も進んでか、野球の応援などで昼休みとはいえ全校生徒を強制して練習するなどということはありませんでした。ホームルームの時間を利用した全校集会や、放課後の臨時生徒集会はありましたが。

Ted 07/20/2005 17:24
 800余名といえば全校生徒ですが、この年、わが校の野球部が強かったのと、北信越四県からの代表校による大会が近くの兼六園球場で開催されるということで、強制しなくても、ほとんど全員が集まったのだと思います。この頃わが校で、「応援団」(応援をするときのリーダーを指したと思います)の設置という出来事があり、「菫台時報」紙に、一般生徒の応援への参加が強制にならないようにという意見を含めた論説を私が書いたように思います(いずれ日記に出てくるかも知れません)。

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