2005年7月17日日曜日

キキョウ(写真)/ 授業のない時間のつれづれなる気持



先にも紹介したわが家のプランターに咲く紫色の
キキョウの花を再撮影。2005年7月15日。

授業のない時間のつれづれなる気持

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年10月6日(月)曇り

 狭い紙面を少しの冗長な記事で埋めてしまったものがこれだ。落選の自信満々で応募することほど馬鹿げたことはない。各校の新聞が本校の IT 先生のところへ集まって来るのに、その先生を顧問とする当校の新聞部が参加しないわけにはいかないから出しておくだけだ。4月以降に発行したものを全部出さなければならないのだが、2部しかない。「いずみの原」や「金大附高新聞」などは、ブランケット版で3部出している。
 生徒会会計の TKN 君には、廊下ですれ違ったときに、「これ、お願いします」と、「菫台時報 1200部 4000.―」と書き込まれた紙を渡し、会長には、放課後呼びだされて、一つの質問と一つの注意を受け、「すみません」といって、やっと、取りかかったときから自分で満足の出来なかった仕事にピリオドを打った。予算からいえば、あと、タブロイド版4ページを今学期と来学期に各1枚出し、その間に原稿用紙を印刷して貰えばきっちりということになる。それよりも問題になるのは、誰かが編集長になってくれることだ。

 国語の時間は、先生がどこかへ行かれたらしく、物理の YM 先生が代わりに来られたが、その時間の課題がちゃんと用意されていた。「授業のない時間のつれづれなる気持を万葉調で表した和歌を三首以上作れ」というものである。万葉調といえば、五七調で重厚で直感的、単純率直なものということになるが、言葉のおもちゃのようなものしか作れなかった。もっと高尚で、新しい感覚のものを作らなければ、と思ったときに時間が来てしまった。

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