ナポリのサンタルチア港を睥睨(へいげい)している
カステル・デ・ローヴォ(卵城)。2003年5月13日撮影。
[2011年11月28日、記事復元時の追記]森鴎外訳『アンデルセン 即興詩人』(ワイド版 岩波文庫, 1991)の本文最初のページ(p. 9)に、"否々、わが「アムボンポアン」の「カステロ・デ・ロヲオ」のごとくならんは、堪へがたかるべし" とある。そして、巻末の注に、"カステロ・デ・ロヲオはカステル・デ・ローヴォ(卵城)で、次ページの()内訳注に「卵もて製したる菓子」とあるのは鴎外の誤り" というような説明がある。それにしても、本文最初のページ上記引用部分の意味が分からない。
終り。まずい。
高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年10月3日(金)雨、4日(土)降ったり晴れたり
終り。まずい。非能率的に、目を広い範囲に向けないで活動したからだ。[1]
(Sam)
1952年10月4日(土)雨
開校記念日のプログラム作成のため、特に四限目を出席扱いにして貰って、案を練った。僅少な予算をやりくりして、一応はまとまったものが出来そうである。今年は男子ばかりや、女子ばかりのホームがあり、男女生徒の人数の配分が不均等なので、運動会のチームを作るのがなかなか難しい。
速記の第二回練習試合が一時半から二十七H室である。外部からの参加校は菫台だけ。七人ばかりが雨の中をはるばる来てくれた。前回とほぼ同じ要領で行う。翻訳時間を若干短縮して、無駄を省くようにした。
前回はノーミスの菫台 TK 君が、100と200にそれぞれミスをし、絶対自信があるといっていた FJ 君も翻訳のときに行を間違えたりして、150と200は完全でなかった。ぼくは125までノーミスを保ったが、150で4、200で69の誤・脱字をした。まだまだ練習が足りない。それでも、この前に比べてわずかながら進歩が認められる。
YM 君が秋山の珍味 [2] を持って来てくれた。昨日、彼の父が採って来たものだといった。豆腐を入れておつゆにするとよい、とアドバイスしてくれた。
引用時の注
完成した『菫台時報』15号についての、編集長自身の反省である。
マツタケだろうか。
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