2005年7月23日。
さる7月18日付けで、M・Y 君から "Ted's Coffeehouse" 6月分への感想文を貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。例によって、たいへん長い文だったので、一部を割愛した。青色の文字をクリックすると、関連ページが別ウインドウに開く。
1. 随筆
(1) 「代用教科書のことなど」
終戦後大連に留まった日本人の学校での勉強の様子を興味深く読みました。代用教科書も優れていて、治安も保たれ*、敗戦後も学校で勉強できたことにやや驚きを感じました。戦中の思い出で「軍人勅諭」の小冊子を持ち暗記に努めたとあります。私は3年生の秋に日本に引き揚げましたが、4年生の時「教育勅語」を毎朝クラス全員(4年生から男女別クラス)が起立し暗誦させられたことを憶えています。
*(引用者注)治安については、敗戦後間もない時期には、駐留したソ連兵が日本人の民家へ略奪に入ったり、婦女に乱暴を働いたりする事件が多くありましたが、その後、改善されたようでした。
(2) 「ミドルネーム」、「小学校同級会」
61名中20数名が郷里の温泉に集まっての同窓会が、卒業後60数年経ってよく開催できましたね。友人の一人で好ライバルだったカルフォルニア大学勤務の女性の、はるばるの出席が彩りを添えたことでしょう。クラスメートたちのクラスへの深い思いが持続するよい故郷なのだろうと想像されます。
(3) 「元上司への礼状」
物理的世界観がいずれ宇宙のすべてを統べる法則を見出すだろうと「邯鄲一炊の夢」を夢見られる遠大にして高邁な思想をお持ちの元上司への礼状の終りに、「ヒト族の途絶えた地球の空しさが予想されるからこそ、ヒトはつまらない紛争をやめて、今をよりよく生きるべきではではないかと思います」と書かれたとは、うまく締めくくられたものと思います。よい上司に恵まれましたね。
(4) 「靖国についての米国新聞記事」
靖国問題に対する米国の沈黙の理由や首相の靖国参拝の理由(郵政民営化を始めとする彼の政策に右翼政治家の支持を得るためと見る)についての米国紙の見解を紹介されたことは、この時期に当たって意義あることと思います。
2. 写真
「京都府北部への旅行」の写真は、スケッチやその説明とともに、楽しく拝見しました。北吸トンネル、舞鶴市制記念館、れんが博物館など歴史的なれんが建造物が美しいです。旧海軍の名残があるのですね。大山崎山荘美術館にまつわる加賀正太郎の洋ランの逸話(「洋ランと平和を愛した男」)とチューダー式邸宅を初めて知りました。同窓会が行われた金沢の写真*、堺市近郊の四季折り折りの写真**とお宅の百合の花***、みなよく撮れていて、目を楽しませてくれます。
* 金沢駅の鼓門、犀川峡温泉、「滝亭」遠望、「滝亭」付近の犀川、卯辰山の菖蒲園。
** アジサイ、タイリンキンシバイ、ブーゲンビリア、ハス、カンナ、ムクゲ。
*** ユリ。
3. 交換日記
(1) 「父の命日」
8月27日の父君の命日に祖父君がお経を上げられる記述を読み、当時は毎朝簡単な経と戒名を唱え、お祈りする敬虔な風習があったことを思い出します。最近はお寺も後継者難で、私の郷里の菩提寺では、檀家とお寺の後継者の間がうまく行かず反目状態が長く続いています。法事はもちろんのこと、葬儀も同宗派の連携寺にお願いしなければならず、迷惑を蒙っています。後継者は寺を継ぐ意欲はあるようですが、檀家の代表は適格条件に固執し、このような事態に至っています。少子化や若者の考え方の変化を考え、鷹揚にかまえ、悪ければ指導するぐらいの心構えが必要でしょう。
文末にある Ted の父君の思い出と「Sam には新しいお父さんがあるようだね。どんな方か、機会があったら、書いてくれ給え」にはしんみりさせられます。
(2) 解析 II、物理
Ted の日記の9月19日*に解析 II のことが、また、8月22日**と9月1日***に物理のことが出ています。解析IIで微分の概念に興味を感じ、物理の問題集のまだ習っていないところの理解に骨を折り、熱現象、熱理論を読み流したなど、両科目に興味をもち取り組んでおられたようです。私の高校では2年生では幾何と化学を、解析IIと物理は3年生で履修することになっていました。高校の普通科ではそのようなカリキュラムの組み方に合理性があろうかと思われますが、理科系を志望する生徒にとっては、1年足らずで大学入学試験レベルの学力をつけるには、ことに物理では苦労させられました。
*「交換試合を1インニングだけ観た」。
**「予定の半分にしか達していない」。
***「簡単に解いてやった」。
(3) 「伯母に漢詩和訳を習う」
中国のほうぼうを実際に見て来られた経験豊かな伯母さんに漢詩を習い、「科学的な考え方をする心」も教わることができて幸せでしたね。伯母さんが例示された和訳も、地理と国語の薀蓄を傾けた文学性豊かなもので、流れるように読まれます。
(4) 「いもがゆ」、「夕鶴」
これらは、Sam に質問されて答えた意見とのことであり、友情が感じられます。「いもがゆ」について、宇治拾遺では現象的、芥川のものは心理的で、同じいもがゆを媒介として書かれた、筋もほとんど同一の二つの作品は、完全に別の道を行くものであるという見方や、「夕鶴」の主題は簡単にいえば「愛と欲」で、もっと簡単にすれば「欲」となるだろうか、という見方は鋭いと思われます。
(5) 「夏空に輝く星」に関連して
夏休みの宿題として書くべき主人公についての意見を貰ったSamに対して、完成した作品「夏空に輝く星」への彼の理解と自分の意図との相違を説明したり、友人たちの作品* **を読んでの感想とあわせて、自身の作品の主題に対する迷い(身をもってする芸術とするか、『こころ』の中で「先生」がいった言葉は真実であるとするか***)を打ち明けたりしています(「漆黒の瞳…」の後段)。
* 女性の登場そのものがテーマの Jack の作品。次のパラグラフに引用の8月24日の Ted の日記参照。
** 風物や人生に対する俳諧の精神に近い感じ方・見方が述べられている Twelve の作文。「友の田園情緒の作文を読む」参照。
***(引用者注)この()内に引用されている言葉は、M・Y 君が受け止めたように、私自身の作品の主題に対する迷いを表現したものではなく、仮に男女の愛をテーマに取り上げたとすれば、どのように描いただろうか、という自分への問いかけです。
8月24日の Ted の日記では、Jack の小説を Sam と一緒に鑑賞した記述に関連し、「ぼくも自分で一応満足の出来る、もっと新しいものを作るべきだった。しかし、そのためには、時間的制約のないことが必要だ」ともらしています。
また、展覧会で「秀作」になったHS君の抽象絵画が理解できない(「『秀作』の絵が理解できない」)と述べたり、北国新聞の「"何が描いてあるか" から "何を感じるか"に」の記事を読んで、芸術の主観性・客観性についても考え、「この記事にある、この頃の画家は"何を描くか" という写真の代役的なものから "何を表現するか" という主観的なものになった、という言葉は、ぼくに一本の針を突き刺した。「夏空に輝く星」で芸術の客観性を肯定させた。難しい。主観・客観ということそのものが分からなくなってきた」(「絵画の主観と客観」)と悩んだりするなど、自作についての真剣な論評がなされており、作品に打ち込んだ情熱が感じられます。
(6) 英語のアクセント
9月11日の日記の最終パラグラフに、中学時代に習った単語*のアクセントを豪も怪しまず憶えていたのが、間違いであったことが記されています。当時の中学の先生の英語は、発音はいうに及ばす、アクセントさえも間違いが多かったようで、私も後で間違って記憶したもののリセット訂正に苦労しました。
*(引用者注)私が記したのは、英語の先生に習った単語ではなく、理科の時間に習ったもので、アクセントも、自分で勝手に思い込んでいたふしがあります。したがって、後に書いてあるM.Y.君の思い出とは少し種類が異なります。
(7) Sam の日記
「盆踊り」には、「それは、健全なダンスであるとともに、妖艶な社交場でもあり得る。そして、この両面を持てばこそ、踊りの輪は回るのであろう。…それに見入る人びとの顔もまた楽しからずや」と、盆踊りの様子が情緒豊かに描かれています。私の中学時代には一時期まで旧暦に基づいて盆が行われていました。盆踊りのころは農家は田の草取りなどの農作業も休みにし、満月(旧暦では、盆は丁度満月)の月明かりの下で、老若、ことに若男女が太鼓と歌に合わせて、まさにSamの描くように社交場として、広場で盆踊りを楽しむ素朴な情景を墓参りの後の月明かりの散歩の通りすがりに眺めた思い出があります。
「根拠のない噂」は映画 "The Well" 鑑賞後の感想で、その内容をうまく説明した後、若い正義感の発露でしょうか、「日本における青い目の子どもたちの問題や在日韓国人のデモも相似た事実として慎重に考えなければならない」との見解を付記しています。「御影大橋の渡り初め」は、地域の方がたが、橋の完成が郷土の発展に果たす役割を期待している情況が活写されており、また、時代をよく反映していると思います。「国体参加援助費一人当たり700円」では、生徒会会計の役をうまく果たしている様子がうかがえます。
(8) その他
普段口数の少ないTedは、英語の朗読の終わり近くで口が渇いてしまい、いま思うと冷や汗の出るような読み方をしたと書き(「2ページの朗読に疲れる」)、数学の問題を「歩きながら考えるのは…」、まったく自由な気持ちで、自分の力でその問題にぶつかってみることが出来る、と感じ、SNN 君の質問した物理問題のどれも「簡単に解いてやった」り、国語では、別クラスで「2番目の Vicky にさえも完敗」、と悔しがり、「試験が終わりトランプに興じ」、放課後廊下で行き違った Vicky の顔は「あまりに蒼白く」、どうみても愉快そうでなかったので、極端に顔をそむけてしまい、Sam が生徒会会計の役をうまく果たしているのに、ぼくは自分の役目(学校新聞製作)に何と熱が入らないのだろうと悩み(「漆黒の瞳…」)、アセンブリーのスクール・クイズに出場した際、3年生の文化委員長との間のわだかまりが取れた(「デカンショ」)と喜んだ、等々、高校生活が個性的に記録されています。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
四方館 07/29/2005 12:09
月例のこの感想文を拝見するのも愉しみのひとつとなりましたね。
Ted 07/29/2005 20:18
たまに、または、新しく私のブログを読みに来られる方への紹介になればと思い、ありがたく引用していますが、よく読みに来て下さる四方館さんにとっても面白いですか。
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