ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂内部。奥のペテロの玉座を中心に撮ったのだが、左下に他の人が撮影したときのフラッシュが写り込んだので、左をカットした。2003年5月15日撮影。
後日の追記:この記事を掲載した翌夕、NHK総合テレビで、たまたま、「探検ロマン世界遺産特選:バチカン市国」の放映があり、写真の場所の映像がしばしば出たことであった。
多忙以外に表現の言葉を知らない
高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年10月12日(日)雨
16題ある復&研 (9) の4以外を征服した。Jack に割り当てられているその問題は、積分が必要なので、いましばらく解けない問題なのだ。*
*(後日の欄外注記)積分を使わなくても解けるのだった。
(Sam)
「毎日一行くらいは書き給え。」
「うん、そうしよう。そうでなければならない。」
と決心しながら、二週間余もページをめくらなかった。
「あんまりだ!」「あんまりだ!」
でも、いまからでも遅くあるまい。――以下記憶をたどる。詩歌とは静かなる所にて思い起こしたる…というような気持ではなく、もっと悲愴な気持で――。
十月の第二週は記念行事の準備の最後の週であった。記念行事委員会のために、第一教官室の隣の応接室兼放送室を貸して貰い、シミキン、トンチ、アンマ、マンゲツという三年生の連中と二年生の男女委員たちが激しくこの室を出入りし、協議した。印刷所へ、図書館へ、能楽堂へ、H.B.H. へ、市警へ、PTA 会長宅へ、それぞれ用件を持って出向き、顧問のアドバイスによってプランの変更を余儀なくされたり、出場出演クラブとの打ち合わせをしたり、――。課業後から夕方までの短い時間は多忙であった。多忙以外に表現の言葉を知らないが、とにかく、大変なものだった。そんなに大きな障害はなかった。すべてがうまく行きそうだった。
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