[Read in English.]
7月21日から23日まで、妻とともに金沢と山代温泉への小旅行をした。金沢での1日目には野田山墓地と、寺町と野町の寺にあるわれわれの先祖の墓に参拝した。
野田山墓地の、われわれが利用する一つの入口近くを、幅広い自動車道路が貫通することになり、工事中だった。歩行者の横断方法はどのようになるのだろうか。少なくとも一部の参拝者たちには、たいへん不便になりそうだ。
2日目の午前、JR 金沢駅前から「城下町金沢周遊バス」を利用し、金沢城・石川門(写真)の近くの兼六園下で下車、兼六園内を少し歩き、金沢21世紀美術館を訪れた。
旧金沢城の敷地は1871年から終戦まで、陸軍が使用し、1949年からは、代わって金沢大学がおかれた。金沢城跡のシンボルと大学の門を兼ねた石川門は、1950年に国の重要文化財に指定されたが、大学キャンパスは1978年から1995年にかけて別地区へ移転した。移転完了後、城の敷地は金沢城公園 [1] として整備され、写真の石川門の前に見える橋(石川橋)は、現在、兼六園と金沢城公園の二つの公園をつないでいる。
今回の小旅行については、なお少し記述する予定である。
- 金沢城公園, 石川県ウェブ・サイト.
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
Y 07/25/2005 02:03
確か、お城の敷地に大学がおかれているという、贅沢なロケーションのキャンパスを有しているのが金沢大学だったのでしょうか、そんな国立大学があると写真などで見たことがあります。金沢大学は移転されてしまったのですね。金沢は、いつ訪れても見どころの多い、豊かな歴史と文化を備えているでしょうね。
Ted 07/25/2005 08:15
金沢城は石川門以外ほとんど消失し、その跡地に金沢大学の法文学部(現在は文、教育、法、経済の各学部に分かれています)、教育学部、理学部があったと思います。(理学部の一部はその近くの旧四高跡にもあったかも知れません。)私たちの高校生時代に、いまの大学入試センター試験の役割を果たしていた進学適性検査というものがありましたが、私は城跡の金沢大学会場でその試験を受けました。上記の各学部は現在、市の中心から南東へ約5km離れた角間というところへ移っています。(医・薬学部と工学部は始めから小立野のそれぞれ別の場所にあり、そのままです。)城の跡地が金沢城公園になる際、いくつかの城の建物が復元されたようです。金沢は観光地としての整備にも力をいれているようで、訪れるたびに、住んでいた頃には知らなかった金沢を知る楽しみがあります。
0 件のコメント:
コメントを投稿