【概要 (Abstract in Japanese)】最近、新聞紙上で芸術と科学の両者にかかわる記事を目にすることが多い。たとえば、同志社大の京田辺キャンパスに今春「文理融合」をうたう文化情報学部が開設されたという記事があった。これは歓迎される傾向ではあるが、同学部の目標は芸術と科学の間に可能な多くの相互作用の一つの局面を扱うに過ぎない。私がネイチャー誌の書評ページから知ったいくつかの他の局面をここに紹介する。それらは、「ボヴァリー夫人の卵巣」という著書に見られる、小説に基づく生物学の研究、「21世紀の脳」の著者が抱く、科学は芸術によって補われるべきだという考え、そして、理論物理学の最前線を紹介した「歪んだ道」の書評が示唆する、芸術と科学の表現が互いに学び合えるという可能性である。
【Read the main text in English.】
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
Y 07/05/2005
(1) 同志社大学の文化情報学部は、ここでのご紹介を読むと、確かに芸術と科学の関係についてのあくまで一側面を研究する趣旨のようですね。特に、科学は "data science" だけではないでしょうし、けれども情報文化に対応すべき時代の要請としてはこのような教育研究の趣旨に絞られるのでしょう。
(2) Ted さんが挙げてくださった諸研究は、重要な観点が多く出されていると思いますが、"... is even prepared to believe that science is perhaps intrinsically incomplete and must be complemented by the kind of knowledge we gain from arts." という部分に象徴されるように、科学は芸術によって補完されねばならない、つまり芸術は科学に対して補完的であり、逆も成り立ちうる、という考え方は確かに妥当するのですが、両者の発生や成立、維持・促進されるプロセスや根拠については、両者を対置して考えるよりもっと複雑な、微妙な相互作用も多いと思うのですね。両者の同根性、ということは容易にはいえないのですが、もちろんそのことが基礎づけられるなら、生物学的な成立根拠や創造の動機としては同根、ということが第一にくるかとは思います。(その意味で、ボヴァリー夫人に関する書は面白いですね。)次には社会的な渇望にこたえて発生する、ということもくるでしょうね。
(3) Davies の意見も面白いですが、芸術家と科学者が「事後的に」相互理解をおこなうという側面だけでなく、そもそもこの社会に両者がつねにすでに共存してきた事実に、より先験的な相互作用をみる、という側面ですすめる研究も有意義かと思います。
長くなりましたが、科学と芸術の相互作用、相互理解に関して。科学の不完全な部分は、科学論によって指摘され、補完されるべきである部分が多く、科学はそれ全体として完全性、完結性が目指されるべきなのだろう、芸術も同じく、ということですね。他に奉仕するより、そのような意義のほうが優先されると思うのですね。けれども科学論はすでに一つの立派な文化論でもあり、そこに両者の相互作用をみることができる、などという意味で上の意見を述べました。
Ted 07/05/2005
沢山のコメントをいただき、ありがとうございます。
(1) 確かに学部新設の要求が目下通りやすいのは、情報に関係した申請でしょう。
(2) 科学と芸術の発生には、社会的な渇望の前に、人間的な渇望もあると思います。
(3) 先験的な相互作用をみる、とはよいご提案です。私も「科学と芸術の相互作用」には、事後的なものだけでなく、個々の科学者・芸術家が育つ過程において、科学者の卵が芸術から学ぶことが後に役立つという作用や、またその逆の作用もあると思います。
小田菌 11/18/2005
公益学という少し変わった学問を勉強しているものです。今年で4年生なので卒論に取り組んでいます。卒論のテーマは「公益的視点から見た科学」です。その研究のひとつに「科学と文芸の共生」という項目を設けようと思っていた矢先に、このブログに出会いました。沢山のお話ありがとうございます。参考にさせていただきます。
TEd 11/18/2005
卒論のご参考になるとは望外の喜びです。よい論文が出来上がることを祈ります。
プラトテレス 06/18/2006
自然科学を芸術表現活動によって深めることを目的とした『知の統合プロジェクト』の第一弾として東大安田講堂でフォーラムがあります。2006年8月30日「次世代文化フォーラム」。
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