2005年8月25日木曜日

稲荷社(写真)/ 未開人のすること


稲荷社

 堺市・蜂田神社内の三ツ峰稲荷社。2005年8月20日写す。

未開人のすること

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年11月1日(土)降ったり晴れたり

 僧陰律如令、僧陰律如令…。馬鹿げている。未開人のすることである。しかし、墨をすって、祖父の望む通りに書いた。「幅二寸縦五寸の白紙に僧陰律如令と書きて清水にて呑むべし。」それがどんな科学的効果をもたらすのだ。「聾をなおす法」[1] だって! いまの祖父に対してすべきことは、どこかへ隠れてしまった祖父の科学的観念を引っ張り出して上げることと、いわれる通りにおまじないの文句を書いて上げることのどちらだろうと考えながら、安易な後者を選んだのだった。

 アセンブリーは同志社大学 O 総長と同大学 H 教授の講演。せっかくこれだけ重大で深遠な話をするのなら、もっと聞きよい調子で話して欲しいと思ってばかりいたので、要点が掴めなかった。H 教授は大学教育の使命について、O 総長は日本人の性格と民主社会ということについて述べておられたようだった。総長は高くて細い声で、「であります」というところに力を入れて、また、何でもないところに「ですね」という句を多く挿入しながら話された。

 出席を取って、近ぢか来沢される名士の紹介があっただけで終った物理の時間、その前の休み時間のコウモリ事件など、愉快なことがいろいろあった。

 MY 君の「国体感想記」は、何とも丁寧な調子で書かれている。「感激致しました」というような具合である。Jack の創作と同じく、「実力の差が有ります」と「有る」を漢字で書いているのも面白い。

 拍車をかけて活動しなければならないところへ、2日間の休みか! 母が粟津へ1泊旅行 [2]。

 引用時の注

  1. 祖父は大連にいたとき、ちょっとした事故にあい、耳が大分遠くなっていた。
  2. 職場の旅行だったか。

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