セミの抜け殻
写真は、去り行く夏を憂い気に木の葉にとりついているセミの抜け殻(堺市・鈴の宮公園で、2005年8月20日)。
M.Y.君からの感想(2005年7月分)
さる8月18日付けで、M・Y 君から "Ted's Coffeehouse" 7月分への感想文を貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。
1. 随筆
(1) 「ゴッホ展」
「糸杉と星の見える道」の模写は、よく感じがでていますね。この絵では、二人の農夫と後ろの二人乗りの馬車が夜のくつろぎを感じさせます。私は、「黄色い家」をモームの『月と6ペンス』にも書かれているゴーギャンとの協同生活や、それに破綻があったことなどを想いながら眺め、よい絵だと思いました。
(2) 「高校時代の写真」と 「科学・技術者を目指す女子高校生のための夏の学校」
2名の女生徒と日記に登場する人びとを興味深く拝見しました。女子高校生のための夏の学校の募集は全くタイミングよく届いたものです。
(3) 「科学における25の大きな疑問」
サイエンス誌125周年特集の25の大きな疑問の中には、タイトルを見ただけでは何のことか分からないものもありますが、これらが4半世紀に直面する大きな疑問であるということは大いに参考になります。「5. 物理学の法則は統一されるか」は、先月の元上司の物理的世界観云々と関連しているようです。物理学はどこまで進展するでしょうか。
(4) 「私の持っている最も古い写真」
これだけ鮮明によく転写できたことに驚きました。写真に写った人物・服装にも興味を惹かれます。1900年初頭には白黒写真技術の基本は完成していたのですね。1990年代後半に急速に普及したデジタル・カメラは写真技術のブレークスルー、さらなる発展はどのようなものでしょうか。
(5) 「第55回パグウォシュ会議(広島)へのメッセージに賛同」
パグウォシュ会議についての新聞報道は、例えば7月23日の朝日新聞夕刊で「本日から広島国際会議場で開催され、科学者集団が5日間、知恵を出し合う」など、当日のハイライトと関連事項の簡単な報道のみだったので、本記事に「憲法九条がラッセル・アインシュタイン宣言とともに、核兵器廃絶後の、人類の未来への布石として先見的、人類史的意義をもつことを確信する」という関西平和研究グループ有志のメッセージが引用されていることは意義深いと思います。九条がかつてない存続の危機に瀕しているなか、共産党と社民党が来る衆議院選挙でも九条を守る態度を示しているのは救いでありましょう。
(6) 「セミとり」と「日本最古の噴水」
セミとりにまつわる思い出とウォーキング中に撮ったセミの写真、9歳で亡くなられた兄上を偲び近年兼六園を訪れるたびに見に行く日本最古の噴水の話は、筆者の現在と関連させて少年時代の思い出を語る爽やかな読み物です。噴水の写真もよく、セミの3連写真も面白いです。
(7) 「死後に親しむ」
作家・水村美苗が寅さん俳優・渥見清を彼の生前になぜ知らなかったかは別にしても、小林信彦の『おかしな男』を読んで関心を寄せ、『男はつらいよ』の初編ビデオを見て「歓喜」が体中にあふれた、と知り、その経緯を興味深く思いました。
私は水村美苗の『本格小説』についての貴君の書評にひかれてこの本を読み、彼女のすばらしい創作構想力に圧倒され、この深みのある和製『嵐が丘』を読みふけりました。続いて『続明暗』を読み、大いに感銘をうけるとともに、漱石の未完の『明暗』をいかに読み解くかについ教えられました。貴君の名書評に感謝します。
2. 写真
貴家の庭の花は一度に三つ咲いたハイビスカス、サフランモドキ、キキョウ、オクラ、モミジアオイと種類多く、また、40年前に伯母様の家から貰われた思い出のアガパンサスの花もあるそうで、生活に潤いを添えていることでしょう。
イタリアの美しい風景、歴史的建造物、街並みは構図がよく素敵です。宿泊されたホテルの部屋の窓から撮ったローマの街角の写真に果物売り屋台のトラックらしい車の前を二人乗りの黄色の超小型車(ベンツ社の SMART)が走っているのはユーモラスです。また、ナポリ湾越しに見たヴェスヴィオ山は天候に恵まれてよいチャンスを捉えた巧みな写真です。
3. 交換日記
(1) 先生方のお話
Ted の9月20日の日記に、金城高校の加藤校長の講演について記されており、音楽のメロディー・リズム・ハーモニーが会話においても必要な発声上の注意点であるという話があったことが紹介されています。他方、Sam の9月23日の日記には、友人と二人で訪問した先生宅で、兄弟がいないということについての話を聴き、人格の形成と人生観の確立のための真の学問をした、と感銘したことが簡潔に面白く書かれています。どちらもよい話だと思います。
(2) 事実は小説よりも奇(9月23日の Ted の日記)
Sam が「海水浴」)で想いを述べた Green の父君が Y・T 氏なら、彼女が「中学生時代にぼくに対して最近の君に与えたよりも少ない好感を与えた女生徒だったことを思い出す」とのこと。仮定が正しければ、Green にまつわる話は小説よりも奇といえるでしょう。
(3) 「高校新聞の私的採点」
コンクール参加の県下各高校の新聞15紙(各校2~4号)の大量を読んで私的採点をされたこと、しかも1、2位を的中させたのはさすが編集長だと感心しました。「終わり。まずい。」に「非能率的に、目を広い範囲に向けないで活動したからだ」と編集長自身の反省がありますが、『菫台時報』が入賞を逸したのはさぞ残念だったことと思います。
また、10月10日の日記第2節に過去の編集室の様子を記し、「こんなのが2月ころの編集室だったが、いまはどうだろう。しばらくするとどうなるだろう」との想いをいたす編集長の苦労を察します。
私的採点では中程度以下だった「羽松ヶ丘」(県立羽咋高校の新聞)が佳作になるなど、金沢市以外の文化的辺境地にある高校の努力をたたえる意味もあると引用時の注にあります。羽咋市については、近くに北陸電力の志賀原子力発電所があり、そこへ仕事ででかけたことがありました。金沢から七尾線で羽咋まで行き、ここからタクシーで発電所まで行きました。近くに広びろとした砂浜の美しい千里浜海岸があり、紙名の「羽松ヶ丘」はその光景を思い出させます。
(4) 菫台高校校歌(前記10月10日の日記第2節の後)
菫台高校校歌と紫錦台中学校歌でこれだけ多くの単語が共通に用いられているのは、なにか因果関係があるかと思われます。両校の名前の響きも似ています。私の高等学校は、旧制中学と女学校が一つになった県立高校で、男女半々の共学校でした。校歌は新制度で生まれ変わり、そのことを賛えるかのような内容の美しいメロディーの歌で、新鮮さを感じたものです。歌詞は、はっきりとは憶えていませんが、下記のようなものでした。
明ゆく空に 打吹の輝く峰を仰ぎつゝ
若き理想の学び舎に 伸びて育ちて美しく
光を受けて競い咲く 花なり若き友我ら
1年生は全員が美しい環境にある旧女学校のこじんまりした清潔な校舎で学び、2、3年生は旧制中学の広い野球グランドのある古びた校舎で学ぶことになっていましたが、2年生の終わりに2校舎分離の不便さなどの見直しがあり、3年生から二つの校舎を拠点にした東西二つの高校に分離しました。理想の学び舎も今は昔のことです。
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