サンピエトロ大聖堂:遠景
写真はヴァチカンのサンピエトロ大聖堂を、前の広場の中央に立つオベリスクと合わせて遠方から撮ったもの(2003年5月15日)。
オベリスクはカリグラ帝が37年にエジプトから運ばせ、彼の競技場に立てたもので、16世紀末に44基の巻き上げ機、140頭の馬、800人の人夫の手でここに移された[『ワールドガイド街物語イタリア』(JTB, 2001) による]。
『陽のあたる場所』
高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年11月2日(日)快晴
新潟工高は毎回走者を出したが、わが百万ドル内野陣の攻守に阻まれ通しで、気の毒だった。しかし、外野があれだけお粗末では、負けるのが当然だ。吉田投手のコントロールが乱れなかったら、もっと大差で勝てる相手だった。[1]
"A Place in the Sun" [2] とは、主人公の行動が、その人生において、責任をもってなされる部分を指しているはずである。そして、この六つのアカデミー賞を得たフィルムが写し出すものは、家族的あるいは社会的関係の網をくぐり抜け、彼の感情を引き寄せる綱にたぐられて行くジョージ・イーストマン(モンゴメリー・クリフト)が、陽の当たらない場所とでもいうべきものを自分の中に作り上げてしまい、その処置に窮するところを頂点とした物語である。
それにもかかわらず、題名が "A Place in the Sun" でぴったりであるのは、転覆する寸前のボートの中でこれからの生活について語るアリス(シェリー・ウィンタース)のジョージに対する愛の、そしてまた、牢獄へ面会に来るアンジェラ(エリザベス・テイラー)の彼に対する愛の性格が、彼を苦悩に陥らせた事件の暗さにちょうど正反対のものであり、そこから、死刑場へ引かれていくジョージ自身も何か陽光のようなものを感じ、かつ、それがどうあるべきであったかに気づいているように描かれているからであろう。
けさ、伯母のところへご飯の鍋を取りに行ったときは、爽快さと晴朗さとを一緒に感じて、「すべてが、ぼくのために上々だ」と頭の中で繰り返していたのだったが、いまは、はなみずが出て仕方がない。早く寝なければならない。
引用時の注
- 金沢兼六園球場で行われた北信越高校野球大会に出場したわが校を応援に行ったのである。
- 映画『陽のあたる場所』。ジョージ・スチーブンス監督、セオドア・ドライザー原作(1951年)。たとえば、A Place in the Sun (film), Wikipedia 参照。題名の意味の解釈については、翌日の日記で、この映画に対する新聞紙上の批評を見て間違っていたことに気づかされた旨を書いている。
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