2005年1月2日日曜日

賀状種明かし

 私は今年の年賀状に佐伯裕子の短歌

「鶏も高きに居れば鳳凰とならん」おかしな末吉を抽く
を引用した(「」も短歌に含まれる)。これは朝日新聞に連載の大岡信「折々のうた」(1999 年 11 月 24 日付け)に、佐伯の歌集『寂しい門』(1999)から紹介されていたものの孫引きである。私は「折々のうた」に干支の動物が登場する「うた」が紹介されたとき、切り抜いて将来の賀状への利用に備えている。「うた」は俳句をも含む。

 一回り前の酉年(1993 年)には、
鶏ねむる村の東西南北にぼあーんぼあーんと桃の花見ゆ——小中英之
を引き、「このような桃源郷を大切にする世の中でありたいものです」というコメントをそえた。

 あいにく干支の動物を詠んだ「うた」のない場合には、斎藤茂吉の『万葉秀歌』あたりから、新年にふさわしい歌を取ったりする。何年か以前に

新(あらた)しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
      ——大伴家持(万葉集・巻 20・4516)
を引用した。今年、同じ歌が雑誌『図書』1 月号の編集後記「こぼればなし」欄の文頭に引かれている。そして、文末には、リービ英雄によるその英訳がある。
Let good fortune
accumulate even more
like the snow that falls this day
   this first day,
at the beginning of a new year.
さる 11 月に出版されたリービ英雄著『英語でよむ万葉集』(岩波新書)を、私は先日購入したが、これには未収録だそうである。未収録といいながら、岩波書店発行『図書』の編集後記子は、その宣伝を忘れない。

 干支に因んだ「うた」がないときの、さらに別の手段は、干支の文字を含んだ作家や作品の文を使うことである。寅年には、寺田寅彦が何回か登場した。芥川竜之介や、加藤周一著『羊の歌』も役立つ。1998 年には寅彦の次の文を引用した。

 年賀はがきのあて名を一つ一つ書いてゆく間に、自分の過去の歴史がまるで絵巻物のように眼前に展べられる。
妻がかつて習った先生から、年末、妻と私二人宛に一枚のはがきが届いた。わが家では、妻独自の賀状も作っているが、妻の先生方の中のお二人からは、私が作る夫婦名義のバージョンの使用を要望されており、はがきはそのお一人からのものである。何ごとかと思えば、上記の寅彦の文の一部を詠み込んだ短歌を 2005 年の賀状に記したいので、孫引きをご了承ください、という丁重な依頼であった。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

いつを 01/09/2005 10:28
 「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」の句。私は昨年の 12 月 13 日鳥取県国府町の万葉記念館で、知りました。作者の大伴家持が赴任していた鳥取の国府で詠んだというもの。今年は、私の住んでいる水戸では、元旦に雪が降りましたのでぴったりです。もう一つあった、在原行平の「立ち別れ稲葉の山の峰に生ふる待つとし聞かばいま帰えりこむ」もよかったです。最近は年賀状も印刷が多く、一筆でも肉筆の言葉が欲しいですね。

Ted 01/09/2005 11:08
 コメントありがとうございました。『図書』の記事では、歌の引用から数行下ったところにようやく、大伴家持の名と彼がこの歌を作った状況の説明が記されていましたので、私の記事への引用に際して、家持の名を出し忘れていました。いまから挿入しておきます。私が賀状に引用したのは 1984 年でした。「立ち別れ…」の歌は百人一首に入っていますね。

0 件のコメント:

コメントを投稿