2005年1月22日土曜日

本当に愛するということは…

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 1 月 22 日(火)雨

 Grammar の時間、'however" の例として、先生が "However ugly she may be, I love her dearly." と黒板に書き、ぼくにその訳をさせられた。ぼくは無感情に(自分ではそう思っていた)答えたが、聞いていた生徒たちがワァーとか何とかいって、しばらく静まらなかった。まだみんながガヤガヤいっていたが、先生は、「本当に愛するということは、そんなものですよ。顔のみにくさなんかは問題になりません。本当です」と繰り返された。
 昨日は大寒だというのに、あまり寒くない。
 何! 何だって? 母が! 盲腸炎とは! 午後 3 時頃から。そして、手術した。重態である。オゝ、どうしよう。

1952 年 1 月 23 日(水)曇り

 母を見舞いに行く。そんなに悪くはないという。昨日はこんなものは読めなかったといって、表題に「婦」という文字の入っている雑誌を読んでいた。


(Ted)

1952 年 1 月 22 日(火)曇り一時雨

 きょうの一番の楽しみは、ホームルーム時だった。AK 君の司会で「私は誰でしょう」が行われた。彼の司会ぶりはいささか無味乾燥でなくもなかったが、ヒントの読み方には難がなかった。一つだけ、外科医を「がいかい」と読むということがあったけれども。制限時間の 30 秒を知らせるベルの使用はよかった。「二十の扉」をした時と同じく、座席の 1 列ずつが一つの班となって解答した。
 まず、最右列が掴み取った問題は、「ある春の日暮れに唐の都洛陽の西の門の下にぼんやり空を仰いで立っていました。」を第 1 ヒントとする、ぼくの出題した「架空の人物」。何人かは物語を知っていて、「ははーん、トラなんかが出て来ても黙っとるがや。」などとつぶやいたりしていたが、第 5 ヒントを読み終わっても、正解は出なかった。
 次のぼくの班への問題は新井白石で、ぼくが第 2 ヒントで答えた。最左列の班は、国語の教科書に自叙伝のあった(というのはヒントではないが)フランクリンを 1 ヒントで当てた。われわれの班の第 2 回目は、ぼくがドッジかシャウプかと迷っているうちに、AZ 君がドッジと答えてくれ、やはり第 1 ヒントの記録を作った。
 それから、光源氏、北里柴三郎、ヘルマン・ヘッセ、森鴎外、ドストエフスキー、塙保己一などが続いた。ぼくが作ったあと二つの問題は、バイニング夫人と西郷隆盛。後者は TKG 君が第 1 ヒントで答えた。
 京都生まれで名は守信、15 歳で日光陽明門などの天井絵を描いたりした江戸時代の画家を、他の班が答えられなかった時、ぼくだけが手を上げた。それは、国民学校の頃、あるいはもっと前から、おもちゃにしていた 6 cm × 4 cm くらいの「百偉人カード」のお陰だ。そのおもちゃは、ぼくより 6 歳上で、小学校 3 年の時に死んだ兄のお下がりだった。
 きょうの活躍の結果として、次のアセンブリー時に行われる「クイズ・コンテスト」の出場者に選ばれた。

[引用時の注]

 「私は誰でしょう」や「二十の扉」は当時の NHK ラジオの人気クイズ番組であった。前者は聴取者が解答者として出場するもので、出題は「時の人」、「スポーツ」、「芸能」、「架空の人物」、「ノンセクション」等に分類されていた。

 「二十の扉」の解答者はレギュラー・メンバーからなり、動物、植物、鉱物の範疇で出される問題(もの、あるいはものの状態)をイエスまたはノーで答えられる質問20以内で答えるものであった。このゲームは、終戦前の女学校の英語の教科書にも "twenty questions" の名前で紹介されていた。それで、私は従姉の使った教科書と、戦後の小学校時代に通った英語教室の教材プリントで、「二十の扉」を聞く前から、この遊びを知っていた。

 「百偉人カード」は、日本人 50 人、外国人 50 人からなっていた。時代順に、日本人には 1 から 50、外国人には 51 から 100 の番号が付けられており、表に肖像画、裏に説明があった。人物の選び方は、作られた当時の軍国主義を多分に反映していて、武将や軍人が多く含まれていた。私が兄から受け継いだ頃、すでに何枚かは紛失しており、それらが誰であったかを想像してみたりもしたものだった。お陰で、私は歴史上の人物についての知識が子どもの頃からかなりあった。しかし、戦後の小、中学校では歴史上の人物について教えることがなくなり、その知識を宝の持ち腐れのように感じていた。

 偉人といえば、子どもの頃に読んだ笑い話の小さな本(『幼年倶楽部』の付録か)に次のようなのがあった。
先生「日本の偉人を 50 人挙げなさい。」
生徒「ハイ。西郷隆盛、乃木希典、東郷平八郎、四十七士。」

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

Y 01/22/2005 14:34
 空手の S さんのことが思い浮かびますねえ。彼は元は女性たちから次々と一目惚れされるような大変にかっこいい人だったそうですが(琉球空手でファンクラブまで出来ていたそうです)、病気と薬で大幅に太って、前の容姿は私にはわかりません。今でも顔は素敵ですが、体格は確かに大柄で太っている、けれど男の中の男、といった感じの人なので、太っているもやせているも愛したのに関係ないですね。
 でも、本当に愛すると、その人の顔や全体像が好きでたまらなくなるものなのですよ。それが不完全な人間どうしで愛し合うということではないかしら、と思って。私だってそうでなければ、人から愛されるはずがないですから。
 Ted さんの日記のほうは、高校生にしてはすごく高度な話ですね。私の高校はすごい進学校でしたが、ほとんど誰もそんな質問に答えられる人はいなかったでしょう。もちろん私も、文学系の人物を除いては。

Ted 01/22/2005 16:12
 「蓼食う虫も好きずき」とは、よくいったものです。しかし、Y さんが、「私だってそうでなければ、…」とおっしゃる必要はありません。

テディ 01/23/2005 00:27
 私は誰でしょう?
 1. 私はドイツ人で、貧しい牧師の息子として生まれました。
 2. 七歳の時に読んだ ○○○ 戦争のことを書いた歴史の絵本を読んで、○○○ は実在していたことを信じました。
 3. その発掘をするために実業家として成功し、発掘の資金を貯めました。
… てな感じだったのでしょうか?

Ted 01/23/2005 08:34
 そうです。ただし、第 1 ヒントだけでも、シュリーマンと特定することが可能なように、もう少し何か述べて欲しいところです。また、ヒントに伏せ字 ○○○ があるのもよくありません。改善した例を示します。
 1. 私は貧しい牧師の息子として生まれ、7 歳の時にある戦争のことを書いた歴史の絵本を読んだことが将来の大きな仕事につながりました。
 2. 私はその仕事をするために、まず実業家として成功することにより、資金を貯めました。
 3. 私はその資金をもとに、考古学者になりました。
 4. 私が 7 歳の時に読んだのはトロイ戦争のことを書いた本で、トロイは実在していたことを信じたのでした。
 5. 私はトロイを始め、ミュケナイやティリンスなどのギリシア遺跡を発掘したドイツ人です。

テディ
01/23/2005 11:19
 なるほど。勘のいい人は第一ヒントだけでも正解できるというわけですね。

Ted 01/23/2005 13:59
 その通り。職場かご家庭で「私は誰でしょう?」で遊んでみて下さい。

キキ 01/26/2005 16:25
 はじめておじゃましました!「偉人といえば…。」仕事中に読んででいたので大声で笑えませんでしたが、めっちゃ笑えました!

Ted 01/26/2005 16:43
 初ご来訪でコメントをいただき、ありがとう。大抵は難しい話を書いていますが、ときには「めっちゃ笑え」ることも書いています。ときどき遊びに来て下さい。仕事中でないほうがよいですぞ。

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