2005年1月18日火曜日

再軍備

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 1 月 18 日(金)雪

 ME 君と英単語の尻取りをした結果、彼は X から始まる単語を二つしか知らないことが分かった。Window – wax – Xmas – sex – Xtian(彼は Xchan と誤って綴った)– nix これでお終いである。
 保健体育の講義は、先生が目が痛むからといわれて、正午を過ぎて間もなく終わった。お菜の醤油が凍っていた。寒くてたまらぬ。
 TR 君が黒板に平仮名で 3 行書いた。みんな三字のものであり、しかも誰にとっても好ましくなく、むしろ真っ向から嫌われるものである、というのだ。これに対し、ぼくはこう書いた。

    再軍備
  てっぽうかたに
  らっぱをならし
  にっこりわらって
  しんでった
    落第生
  てんとりむしだが
  らくだいぼうず
  にっちもさっちも
  しょうがない


 アセンブリーは、「紅葉の原因」についてという化学部の発表である。この寒いのに秋の話とは何と変なことよ。難しいことばばかりで、あとに何も残らなかった。


[引用時の注]

 TR 君と Sam が黒板に書いたのは、相手の姓を行頭に折り込んでの嫌みの言い合いである(ここで「TR 君」の本名と、友人たちの姓の略し方が図らずも明らかになる)。その頃の NHK ラジオ番組「とんち教室」に、折り込み都々逸というゲームがあった。この番組の愛聴者で、言葉の感覚にも優れていた Sam と、こういう争いをしたのでは、誰もかなわない。
 「再軍備」という言葉は、1950 年 7 月 8 日、日本を占領統治していた連合軍の最高司令官マッカーサーが、日本政府に警察予備隊 7 万 5 千人の新設を命じた頃から使われるようになっていたものである。この日記よりも後の 1952 年 7 月 31 日、警察予備隊は保安隊に改組された。保安隊が自衛隊になったのは、1954 年 1 月。「再軍備」の名称と内容は、この当時あわただしく変化したのであった。(「再軍備」の歴史については [1] を参考にした。)
  1. 加藤文三他『日本の歴史 下 改訂版』(新日本出版社、1978)

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

四方館 01/18/2005 11:19
 この後、保守合同が続き、55 年体制なる戦後の政治的配置が固定化。米ソの冷戦構造の崩壊とともに 55 年体制も終焉が叫ばれ、新しい政治布置が生まれたかに見えるものの、55 年体制の本質はその内部に生きつづけているように見受けられますね。

Ted 01/18/2005 17:25
 与党の自由民主党と野党の社会党が二大政党として存在するという意味での55年体制は、1993 年の衆議院議員選挙における自民党の過半数割れと社会党の惨敗、それに続く反自民党連立政権の成立で崩壊したとされています。しかし、その後再び自民党が政権の中心に居続けることとなり、与党と野党がひっくり返ることのない政治が続いているという意味で、また、公共事業優先、福祉削減、アメリカ追随という相変わらずの政治の内容において、おっしゃる通り、55 年体制は生き続けているようです。そして、野党筆頭の民主党が自民党から別れていった人びとによて担われているという点から考えて、近い将来における政治内容の大幅な改善がほとんど期待できず、現在は、55 年体制発足当時よりも、国民にとってより不幸な状況になっているのではないでしょうか。

Nadja 01/19/2005 00:51
 私もたまに折句で遊びます。なかなか楽しいものです(^^)
 そういえば祖母は自衛隊のことをずっと予備隊と言っていました。名前の歴史は知っていても、予備隊という名称が 2 年ほどであったことは知りませんでした。

Ted 01/19/2005 07:41
 わが青春時代は、いまや歴史時代。

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